年の初めの

  • 2012.01.02 Monday
  • 10:03
JUGEMテーマ:暦のこと

 今年も年が明けました。
明けたっていいましても、もう二日目ですがな。

んでも世界中が同じ日に明けたわけでもないんですわね。
あくまでグレゴリオ暦を採用している国が、同時に年が明けたのですがな。
少なくとも日本の場合は明治5年12月3日までは、年が明ける日が違ったんですわね。
この日が1973年1月1日なのですがな。

もちん現在でもグレゴリオ暦を採用してない国もありますがな。
たとえば、イスラムの多くはヒジュラ暦。
今日は1433年の2月8日ですがな。
ユダヤ暦は強烈ですがな。
今年はなんと5772年ですってよ。日付は4月7日。

んでもそんな国の人たちも世界レベルで言ったらグレゴリオ暦を使わないと都合が悪いことがいっぱいあるんですね。
日にちの流れの決まりを、世界がヨーロッパに合わせたってのが現実ですね。
んでもヨーロッパって言ったってかなり差があるんですけどね。
1582年に、現在のスペイン、イタリアなんかで始まったこのシステム。
ヨーロッパ全体に導入されるのに100年以上かかってるんですね。
スタートがローマ教皇の発令だったから、宗教上の反発がでかかったんですね。

日本でもいろんなものの日付の決まりのスタートは、皇室の祭りやら宗教上の意味合いで始まったものが多いですわね。
んでも、そのスタートの意味合いってこだわる必要がなくなってますね。
こだわる必要っていうよりも、本来の意味合いが忘れられてドーでもよくなってるって感じですね。

この本来の意味合いを知識の探求で勉強するのはいいんですけど、これをこだわってしまうと押し付けやら否定に使う人が出てきちゃうんですね。
本来の意味合いを考えるとするべきでないとか、もっと厳粛にするべきみたいなこと。
説明ならいいんですけど、明らかにおんなじ考え方じゃないと許さんみたいな人いますわね。

否定する方なんかで、それをすることによって過去の誤った歴史を繰り返すなんてことをおっしゃる方までいますわね。

どっちかって言ったら、肯定だろうが否定だろうが日本中全体が同じ考え方で同じ行動が完成したほうがコワイですがな。

肯定も否定も、んでもってドーでもいい人がいて、そんでいいんでないかいな。

日本海側のこの地。
初日の出は分厚い雲の上にお隠れの場合がとても多いのです。
もちろん今年もですがな。

んでも、この日の出は二度と忘れられない日の出なのです。

これは2011年3月10日、福島第一原発近くで撮影したのですがな。
東日本大震災の前日です。
もちろんグレゴリオ暦の日付なのだ。





人のウワサも75日

  • 2011.06.01 Wednesday
  • 00:15
JUGEMテーマ:防災

日本の商用原子力発電所は16か所にあります。
研究用の釜なら川崎やら横浜、大阪にだってあります。
もちろんどこも立ち入り禁止です。 当然ですわね。
そのそばに原子力発電所のPR館ってのがわりとあるんですね。
原子力について優しく説明してくれています。
それだけでなく、受付のオネーちゃんに質問したらたいてい答えてくれるのです。
難しい質問をしたら、奥からオッチャンが出てきて答えてくれます。
原子力側の人間の回答やんけーなんて突っ込みを入れたい人には意味のないことかもしれませんけど、かなり細かい疑問にも答えてくれることは間違いないんですわ。
ですから何がデマで、何が正しいかを判断する材料は手に入りやすいところです。

今回の事故でいろんなデマや報道が飛び交ってます。
テレビ局によっては発表される安全って言葉を否定することが報道だって思ってるところもあるようです。
チェーンメールのデマや、テレビなんかのコメンテーターのわけのわからん会話でいらん恐怖を感じてストレスためてるよりは、ウダウダ言わんと自分で聞きにいけばいいのです。
もちろん安全をすべてウソとして、キケンであるって情報だけを事実としたい人には、これも有効な手段ではありません。
どんどん危機的状況の情報をもとめている精神状態のほうが体に悪いんですけどね。
こうなってしまえば、出所のしっかりしたどんな安全情報よりも、いかがわしい出所の危険情報の方が信用できるようになってしまうんですね。
チェーンメールなんかは、
「福島の親戚からの情報」
とか
「原子力発電所で働いている知り合いの友達からの情報」
とか
「厚生省の知り合いから聞きました」
なんて言葉から始まる文章が多かったですね。
ウワサってのは、リレーゲームですね。
時代によってウワサの信ぴょう性ってのは変わってくるものだと思います・・・・たぶん。
たとえば昔電話がつながったころに
「コレラ菌が電話線を通して、伝染する」
ってデマが流れたそうです。
いまではそんなこと信じる人は少ないですね。
んでも、コンピューターウイルスって言葉が出だしたころ、そのウイルスって言葉だけを見て、人に伝染するって本気で信じた人がいたんですね。
これもちょっと調べればわかることなんですけど、恐怖が先に立った人っていうのは正しい情報でもウソにしないと安心できなきくなるんですね。
そのウソは、多くの人が共有してますます安心できるんですね。

大正12年の関東大震災でも多くのデマが飛び交ったようですね。
「軍の武器庫が震災にあい、猛毒の雨が降る」
「富士山が爆発する」
「外国人が井戸に毒を流した」
「この地震を予言した人が、このあと大余震を予測している」
「物が不足して、このあと手に入らない」


時代が変わっていまは平成です。
情報を選択できる時代です。
デマは少なくなったのでしょうか。
「火力発電所が爆発して炎上したために、猛毒を含んだ雨が降る」
「富士山が噴火する」
「外国人が被災地で犯罪をしている」
「物が不足して、手に入らなくなる」
なにが変わったのでしょうか。
しかもそれは現在はチェーンメールっていう媒体でひろがっていきました。

大震災の後、サーバー負担を減らさなければならない時期、サーバーをパンクさせるぐらいのデマを書いたチェーンメールが飛び交ったんですね。
そして、多くの物資を必要とした時期に、多くの買い占めがされたんですね。
このモノがなくなるデマは、デマに振り回された人が買い占めをしまくったために、ホントに物不足になってしまいました。
東北で作られていたものや、東北でのガソリン不足は深刻なものでした。
でも、スーパーで姿を消したものは、それが原因のものは少ししかありませんでした。
買い占めが原因のものがほとんどだったんです。
被災地の人たちの現状に涙しながら、現実には買い占め行動に熱中したり、チェーンメールを送ってた人がどれだけいたか。
デマは恐ろしいものです。
余震のデマは日本でもあったのかもしれませんが、台湾で有名なデマがありましたね。
ニュースによって違うんですけど、震度14って書いてあるのとマグニチュード14.0って書いてあるのがあるんですけど、とりあえずはものすごい大地震が起き、100万人以上が死亡するって予言した人がいたみたいですね。
高さ170メートルの津波が台湾をおそうからコンテナに入って避難しろとか言ったそうですがな。
震度14にしろ、マグニーチュード14にしろ、そんな高さではすみません。
ちゅうよりも地球が持ちません。
震度は台湾でも7までしかないみたいですけど、仮に14としますと台湾は壊滅なんて生易しいものではすみません。
東アジアが亀裂の中に沈むぐらいの話です。
マグニチュード14ならば地球はバラバラになります。
M12で地球が真っ二つになる大きさです。
M14っていいますと、地球に火星ぐらいの星がぶつかったぐらいのエネルギーです。
コンテナに入ったって助かりません。

与えられる情報がデマよりも信じられないんなら、自分て調べる方法がいくらでもあります。
いまはネット時代です。
デマか真実か、それもちょっと考え調べれはればわかることでも、それができなくなる精神状態が危ないんですね。

自分が見ているテレビ番組ではその情報を伝えてなかったから、わたしは知らなかった。だから情報開示してない。
自分がわからない難しい言葉での情報だから、ホントのことを開示する気がない。
自分の知識に合わないから、ウソの情報だ。
わたしの好きなコメンテーターやエライ先生がその情報を否定してたから、全部ウソだ。
こんなの隠ぺいなんていいません。
これを隠ぺいにしたい人は、どんな情報も聞き入れられないんでしょうね。

「私たちだけが真実を知っている」
これが一番ヤバい情報です。
せめて自分のところに流れてきたチェーンメールは、自分のところで止めましょう。

「省庁関係の有名なXXXセンセイがホントのことを伝えてくれました。その内容は・・・」
ちっと考えろ。
そんな情報がチェーンメールで流れてくるかってんだ。

あの震災は、いままでいかにくだらないことで一喜一憂してたんだろうってことを痛いほど教えてくれました。
報道がくだらないことで一喜一憂することに戻っちゃったからって、復興が終わったわけではないんですわ。
言葉狩りや批判合戦はもういりません。

わたしは流通している福島のものを買い続けます。

ミニブタ
ちみたちはウワサを気にしないのね。

正常化バイアス

  • 2011.05.21 Saturday
  • 13:09
JUGEMテーマ:防災

 バイアスちゅうのは偏見とか先入観のことなのです。

避難命令が出ても、実際に避難をしだすのは自分以外の人が行動を促してからの人がかなりいるんですね。
危機的状況を自分の判断で、安全に置き換えてしまう精神正体のことを正常化バイアスっていうらしいですわ。
津波警報や大津波警報が出され、緊急の避難指示が出されても、実際には津波が見えてくるまで動かなかった人がかなりいたんですね。

避難命令には避難準備情報、避難勧告、避難指示があります。
避難準備情報ってのは、このあとの状況が悪くなる可能性があるので避難の準備をしてくださいってことです。
避難勧告ってのは避難してちょうだい。ってことです。んでも強制力まではありません。
避難指示は危機的状況が迫っています。拘束力は強くなります。
んでも、これらの避難命令に従わなかったとしても強制力まではないんですわ。

強制力が出てくるのは警戒区域の設定されてからです。
立ち入り制限、立ち入り禁止、退去命令が出されれば従わなけばなりません。従わなかったら罰則もあります。

もちろん危険を察知して、順番に強い命令に変わっていけば理想的な話ですが、天災はいきなりやってきます。
いきなり避難指示が出されたってことは危機的状況が迫ってるってことなんですね。

その情報を無視してしまう精神状態を正常化バイアス、もしくは正常性バイアスっていうんですわ。
危機的な情報を、自分にとって都合の悪い情報として無きモノや小さな出来事にしてしまうんですね。
これによって出てくる答えは、
「たいしたことない」
や「自分だけはなんともない」
です。
これを「正常化の偏見」っていうんですわ。

毎年あるような災害ならば、危機的状況は判断しやすいです。
100年や1000年にあるかないかのような大災害が、これに陥りやすいです。
海外で起こっても、その場所を知らなければ宇宙の片隅で起こったような感覚でしかない人も多いんですね。
報道も、海外の死者が出た事故も、最初に伝えるのは邦人の安否ですものね。
自分にとって都合の悪い情報を無視するってのは、危機的状況でなくてもやる人はいますよね。
そういう行動は、あとあと響いてくるものです。
でも、時間が押し迫った危機的情報では命にかかわるものです。

自分にとって大切な人が死んだときに、その悲しみから立ち上がるのにものすごい時間がかかったと思います。ものすごくつらい、悲しい時間を過ごしたと思います。
でも、あなたが死んでもおんなじことが起こるんですわ。
その悲しみから立ち上がるために苦しむ人ができちゃうんですね。

自分にとって大切な人の命ってことでなら、命の尊さを理解している人は多いんですね。
でも、自分にとって自分の命が尊いってことは、わりとおろそかに考える人がいるんですね。
あなたの命が大切なんですわ。

避難命令が出てたいしたことがなかった経験があったとしても、今回がそうだとは言えないんですね。
自分の命を救うのは、理論じゃないです。
行動です。

自分にしか通用しない言い訳をむりやり作ったとしても、自然には通用しません。

自分だけは大丈夫。
そんなことはありえません。

こいつらも来る災害について話し合ってます・・・・たぶん。

命終わる時

  • 2010.01.02 Saturday
  • 12:40
生まれれば死が確定します。
早い遅いはありますけど、生あるものは必ず死にます。
「そんなこと知ってるわ」
って突っ込まれるようなことなんですけど、知ってるだけなんですね。

長生きすればするほど、つらいことも楽しいことも多く会うことになります。
自分が死なないかわりに、自分以外の死ってものには出会うことは多くなっちゃいますね。

自分以外の人の死と出会うってのはつらいことです。
その人が自分にとって大切な人であればあるほど、つらさは大きなものになりますね。

人の死に方っていろいろですね。
行方不明や事故のように姿がなくなってしまうような死に方もあります。
残された遺族にしてみれば、なかなか気持ちの整理がつかないことになりますよね。
でも、お医者さんが
「お亡くなりになりました」
って言ってくれる死が遺族にとって整理がつきやすい死ってことにはなりません。

多くの死が、家族にとっては看病疲れと助かってほしいという願いが破れた精神的絶望の中での告知になってしまいます。
言われた時には精神的にも肉体的にもズタズタの状態なんですね。

残された人にしてみればどこでその人の死を感じられるんでしょうか。
布団に寝かされている死んで間もないその死体はあったかくてやわらかいんですよね。
それが時がたつにつれ、冷たく硬くなっていきます。

口も開かないかたくて冷たいその姿を見て
「ああ、本当に死んでしまったんだ」
って感じられるでしょうか。

その死体をお棺に詰めるときによく聞く話があります。
「そんなところに入れるのはもうちょっと後にならないか。ぎりぎりまで布団に寝かしておいてあげることはできないか」
って言葉です。
言葉にしなくとも大切な人の亡骸がお棺に詰められるときってのはつらいものがありますよね。

はるか昔の話ですが、
あるお母さんが六歳の子供を残して、若くして死んでしまいました。
自宅でのお通夜のちょっと前にその子供が行方不明。
家族が必死に探していますと、お坊さんが到着してしまいました。
「どうしたんや」
「こどもが行方不明なんですわ」
「そりゃタイヘンや。ちっちゃい子やし何するかわからん。探しなはれ。わしはいくらでも待っててあげる」
家族や親せきみんなで探し回ってもいない。家の外の川や原っぱまでも探し出しましたところで、家の中から
「ぎゃーーーー」
ってお坊さんの声。
どうしたんやと、家族中が家の中に飛び込んでいくとお坊さん、
「お棺が動いた」
お棺のふたを開けてみますと六歳の子供が冷たくなったお母さんのおなかの上で、目を腫らせながら子供が指すいして熟睡。
寝返りしたんでお棺が動いたんですね。

冷たくなった返事もしないカチカチの死がいは、子供にとっては死がいじゃないんですね。
お棺に詰めるときにもうちょっと布団に寝かしといてあげたいって思うのも、その人にとっては亡くなったその人はまだ死がいじゃないんですね。

死んだ人の命ってのはお医者さんが
「お亡くなりになりました」
って言われたちょっと前に終わったんだと思いますが、遺族にとっては違うんですね。
火葬場で鉄のふたが開いて白骨の姿を見たときに、決してあきらめではないけれどひとつのケジメがつくんですね。

人って必ず死ぬんですね。
自分も死にます。
んでもまだ生きてます。

一人の人間が死ぬってことは、その人に関係ある人がものすごくつらく苦しい時間を過ごさなければならなくなります。
そのつらさから立ち上がるのにものすごい時間とエネルギーを必要とします。

自分の命をおろそかに考える人がいますけど、その人でも自分にとって大切な人が自分の命をおろそかにする発言をすると悲しい気持ちにさせられちゃうんですね。

あなたの事を大切に思う人にとって、あなたの命は大切なものです。
「ワシはいつ死んでもいいんや」
「ワシが死んでもいいって思ってるやろ」
なんて発言は、すごい悲しい思いか、情けない気持ちでしか聞いていません。
死んだあとに自分で出来るはずもないのに
「ワシが死んだらああしてこうして・・・」
なんて発言。
死んだあとまで仕切るな。

きらいな人ならほめてくれるかっていったらもっとたちが悪いです。
「言うだけか。言うだけでなくホントに・・・・」
ってくらいのもんですわ。

生あるものは必ず死にます。
でもまだ生きてるんですね。
ほっておいても必ず死にます。
生きたくて生きたくても生き続けることができなかった命がどれだけあるか。

生きるってことはつらいことも楽しいことも自分が引き受けつづけるってことです。
自分の思い通りになる人間は自分しかいないって認めることですねん。
自分の人生の主人公は自分であるって引き受け続けるってことですねん。

早い遅いはあります。その生が尽きるまで生き続けないといかんのですわ。
そして必ず訪れる死は、生きることが終わるときなんですわ。


どんなに形を変えようと
ハッピー
たくさんの命をいただいて、この命があるんですね。



JUGEMテーマ:家庭
 

新型さんいらっしゃい

  • 2009.11.16 Monday
  • 12:52
来てくれても嬉しくないお客さんが、長い旅路を経て我が家にやってきましたがな。

最初の感染が確認されたのがメキシコでのこと。今年の春でしたがな。
そのころには豚インフルエンザって呼ばれてましたわね。
当時の政権は、
「日本へのインフルエンザの上陸を止める」
って無茶な政策をやろうとしてましたわね。
空港関係者の残業が増えただけでしたがな。
空港関係者の努力のかいもなく、四月には日本上陸。
その当時は世界保健機関も病原菌の最高レベルのフェーズ6にあげることをためらってましたわね。
なんかWHOの代表のオバチャンの話聞いてたら、細菌の問題ちゅうよりもメチャメチャ政治色のほうが強い発言でしたわね。

正式にはA型、H1N1亜型ちゅうらしいですわ。

そっから爆発的に広がり、WHOもとうとうフェーズ6に引き上げ。
日本国内でもどんどん広がり、とうとう我が家にやってきましたがな。
地球の裏っからからよくもまあこんなとこまでいらっしゃいました。
なんと強烈なインフルエンザなんでしょうか。
こんな客は来ていらん。
さっさと出て行ってくだされ。


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予防接種

  • 2009.10.19 Monday
  • 17:56
インフルエンザの予防接種をしてまいりました。
もちろん、この時期に新型インフルエンザワクチンなんて手に入りませんわな。
季節性インフルエンザのワクチンですがな。

ワクチンは血液中に広がっていきますが、感染経路の鼻やらのどには取りついてくれないのですわ。
ですからマスクやうがいが要らなくなるってお話ではアリマセン。
つまりは感染がなくなるワケではないのですだ。

んではワクチンにはどんな意味があるのか。
重症化を防げるってんですわね。
んだらは打っといたほうがいいに決まってます。

んでも、わりと高いのよね。
インフルエンザ予防接種って、昔は学校でタダで打ってたような時代もあったのよね。
福祉の低迷を注射一本で感じる、今日この頃ですわ。


さてさて、新型インフルエンザのワクチンが手に入るのはいつのことになるでしょうか。
まさかプレミアなんてつかへやろうね。

メリットとデメリットを秤にかけて、メリットが大きかったら実行すべきですがな。

んでも、やっぱり注射はイタイがな。
これが最大のデメリット。



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大きなことは心地いい?

  • 2009.09.06 Sunday
  • 16:03
「地球平和」
「人類みな兄弟」
「戦争廃絶」
とっても心地いいお言葉ですね。

昔、デンマーク陸軍大将フリッツ・ホルムって方が「戦争絶滅受合法案」ってのを創案されたそうですわ。

「戦争が始まったら、十時間以内に次の処置をとりましょう。
次に該当するものを最低階級の兵隊として招集して、できるだけ早く最前線に放り込み、敵の砲弾の届くような現場で戦闘に加わらせましょう。
一、国家の元首。王様だろうと大統領だろうとかまわない。もっとも男子たること。
二、国家の元首の男性の親族で、十六歳以上のもの。
三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。ただし戦争に反対の投票をしたものはこれを除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧で、戦争に反対しなかったもの。


これらのものは、戦争継続中、兵隊として居続けなければならない。本人の年齢、健康状態なんてのは気にする必要はない。ただし健康状態については兵隊として後軍医官の検査を受けさせるべきである。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最前線に近い野戦病院に勤務させるべきである。」

1929年のことらしいですわ。
いかがでしょうか。読んでるだけでなんと心地いい法案でしょうか。
これが実行されれば戦争なんておこらない・・・・ことはないでしょうね。

少なくとも元首が前線に出てくる時代ってのは長かったんですね。原始的な戦争は前線しかなく、元首が先頭にたって士気を鼓舞してきたんですね。
刀やヤリは近づかなければ届きません。
元首は勇敢で戦力に秀でたものがなってた時のほうが長いんですね。
その元首が宗教の長だったなんてのも原始的戦争ではいくらでも例がありますね。
もちろん負ければその一族の命もありませんし、助かったとしても奴隷です。原始的戦争では一族すべてが戦争に参加していました。
元首が後方に回ったのは鉄砲のような遠距離攻撃ができてからです。
それでも民衆まで壊滅的な打撃を与えるような戦争は少なかったですね。

戦争の形が変わったのは第一次世界大戦。
国費の消耗戦。相手を壊滅させるまでの大量殺戮、無差別攻撃。
兵器も相手の死を感じさせるものから、ゲーム感覚のものに変わっていきました。
そんな中で第一次世界大戦の反省から「反戦」って考え方が生まれたんですね。
ところが強気の国が生まれたんですね。どんなにムチャを言っても周りの国は「反戦」。戦争をにおわせたら簡単に折れてくれる。まわりに無理無体を押し付けて富国強兵を推し進めてきたのがヒトラー。
結果はヨーロッパ第二次世界大戦です。

現在の考え方は「戦争の抑止」ですね。
「戦争絶滅受合法案」ってのは「反戦」ってことではものすごい効果があると思います。でも、これを取り入れない国にとっては取り入れた国に対しては赤子扱いでしょうね。

それよりもどうやって戦争を起こすかってことをジャマすることが、戦争抑止の近道なんですね。
戦争を起こすには戦争しなければいけないって世論を作ることが大切です。
ドナルドウエルズって方の言葉なんですけど、

1開戦理由は、思想統一できるような敵をつくること。
2開戦を否定する人達を叩き潰せるような世論を作り上げること。
3戦争に勝つことにより、戦争当事国以外に利益があると信じ込ませること。
4これしか方法がないと思わせること。
5勝つ事により、戦争を起こした理由以上のものが解消すると信じ込ませること。
6戦争という行為の被害より、勝つことの正義(利益)が大きいと信じ込ませること。
これで戦争は起こせます。
つまりはこういう情報に
「なんでやねん」
つて突っ込みを入れれるような人が多いほど、戦争を止める力になるんですけど、話がでかいと心地いいんですね。

これって、小さいことならだれでも落ち込むことがあるワナなんですね。
1、ミンナで嫌いになれば、いじめてもいい。
2、嫌いな奴は、ミンナで仲間はずれ。
3、嫌いな人の悪いところをミンナに伝える。
4、嫌いな人の考え方を否定する。
5、嫌いな人の行動を悪として、その人が近くに寄ってこないこと自体をいいこととする。
6、嫌いな人の悲しみより、自分たちの近くからその人がいなくなることを喜びとする。

戦争反対を願っている人が、いうことを聞かない人に暴力的な言葉を吐いてたら争いは増えるばかりですわ。
世界平和を唱えてる人が、こどもをしつけや教育だっていって殴ってたらどうにもならないですわね。

家庭平和もできない人が世界平和なんて目指せるわけがないんですね。
話がでかいと心地よすぎて周りが見えなくなります。
人は正しいという信念で、攻撃的になっちゃうことがあるんですね。
正しいことが正しいほど、鬼にでも悪魔にでもなれちゃうんですね。

マザーテレサに
「我々は、世界平和を進めるために、何をすることができますか?」
って質問した人がいるそうですわ。
その答えが大好きなんですわ。
「帰って、あなたの家族を愛してください。」

でかい話は自分にあてはめて聞かないと、自分を見失いますね。
メンフクロウ
主語は自分にしとかないとエライことになりまする。

聞くに値しない証明

  • 2009.07.07 Tuesday
  • 13:05
「このことが、ありえななんて証明は誰もできない」
みたいな言い方して開き直ってる人っていますよね。

こんな理論、なんの説得力もないものですね。
こういう言い方をする人ってのは、あることに対しては特殊な例でもそれを事実にできちゃうんですね。
それを否定する側の事実はいくらでも否定しちゃうんですね。

一つの例としましては血液型性格判断なんてのがありますわ。
これの信者は、どんなに否定されても身近にいる人を型にはめて評価したがるんですね。
血液型は三百種類ぐらいあるんですね。たった四つにまとめるなってんだ。
んでもってその血液型の影響を受けている臓器は体中にあるのですが、ひとつ影響されてない場所があるんですわ。
「脳」なのです。
さて、性格はどこで形成されているでしょうか?

でも、血液型信者にしてみればこんな論理もカンケーないんですね。当てはまる事例だけで確認したがります。
「私の周りではちゃんとあてはまっている。私の周りの人はどうやって否定するの」
あんたの人間カンケーなんて知らんがな。

パターン化ってのは別に血液型だけの話ではアリマセン。
民族や宗教、県民性、パターン化すると安心できるんですね。

心理学の言葉でバーナム効果ってのがあるそうですわ。
誰にでも当てはまるようなことを聞いて
「あっ、それ私のこと言っている」
って思いこんでいく精神状態のことですわ。
そんなことを連続して聞かされるとその思いがますます強くなっていき、自分以外の知り合いも、そのパターンに当てはまっていくような気になっていくってんですね。

最初は広い事例を出すんですね。
「あなたのおなかに違和感を感じるんですが」
ここで大切なのは言いきらないこと。疑問的な言い方が大切です。
「あなたの家のほうから水の音が聞こえますが」
なんてのも、つかみどころがないいい言い方ですね。

相手が自分から、
「そういえばXXXが・・・」
なんて言い出せばあとは楽勝ですね。
どんどん狭めていけばいいんですね。
ある程度まで行けば、少々外れても、相手はそれを聞きません。
あたっているところだけを拾い出して聞いてくれるような精神状態になっちゃうんですね。
ここまで行けば言いきったって大丈夫ですわ。
これで、だれも証明できないような作り上げた事実を受け入れる体制が完成です。

自分はほかの人と違うって傾向が強い人ほど、これにはまる傾向が強いみたいですわ。
はまった人は狂信ちゅう善意で、自分の知り合いを同じ世界に陥れる悪行に手を染めてくれるのですわ。


あたった部分だけを拾い出して、外れた部分を無視するってことで
「ありえないなんて証明は誰もできない」
ってこと言ってる人に、いくらありいえない事例を並べたって無理なんですね。

使い物になる証明ってのは、
「確実に存在する証明」
なのですだ。
超自然現象、予言、うらない、まじない、祈祷、姓名判断みたいなものの正当化で、
「無いことを証明しろ」
なんてのが、
「あることの証明」
にはなりません。
疑わしいものは無いとした方が安全です。

ワケのワカラン自称専門家なんかに相談しないで、ちゃんとしたその道のプロに相談しましょう。

猫が手で顔をこすると雨が降る
メイちゃん
いくらでも例外があります。
ちゃんと天気予報で確認しましょう。

家を出る

  • 2009.06.18 Thursday
  • 18:45
生きていれば、苦しみや悲しみ、怒りやつらさ、楽しみもうれしさを感じさせる出来事から逃げることはできませんよね。
「悩み」を避けながら生きることも不可能です。

「悩み」をどんなふうに消化していくかってことは、とっても大切なことですね。
楽な方法とすれば、被害者意識で自分をごまかせば簡単ですね。
つまりは、世間や親、学校、友達、なんなら運命やら祖先の祟り、絶対的な神のような存在、自分以外のモノのせいならば、なんでもいいんですね。

でも、そうやって自分から逃げ回ってる人は自分を見失うんですね。
自分の人生の主人公は自分しかいないんですね。
でも、他のモノのせいにして逃げ回ってる人は、人生の主人公を放棄しているんですね。
それだけならいいですけど、自分以外の人の人生の主人公まで放棄させようとすれば、被害は甚大ですね。

生まれてきた時点で、人ってのはかかわりの中にいます。
生まれながらにして社会的存在なんですね。
逃げようがないんですね。

世の中に自分の思い通りになる人間は自分しかいません。
他の者には縁と願いは与えることができますけど、それ以上のことはできないんですね。
縁と願いの決定権は相手にしかないんですね。

ものすごく乱暴に言えば、対人の「悩み」ってのは
「あの人が思い通りにならない」
ってのと
「あの人の束縛から解放されたい」
ってふたつになると思うんです。

「思い通りにならない」
って「悩み」はもともと不可能なことなんですね。
とくに、子供や兄弟、友達や夫婦なんかが、自分の思い通りになることが当然と思っている人ほど、その「悩み」は大きなものになります。
「そんな人とは思わなかった」
なんて言葉でも、そんな人を作り上げてるんですね。自分の心の中に作り上げた思い通りの「そんな人」なんて、もともとどこにも存在してなかったんですね。

友達の不動産屋さんに聞いたんですけど、
「お金がたまったから、親元から独立して新しい家や賃貸住宅に移る若夫婦はほとんどいない」
ってことですわ。
親と一緒にいることが耐えられないから出る人がほとんどだってんですね。

とくに若夫婦だけのときは我慢してたけど、同じことを子供にやりだしたから出るしかなかったって場合が多いそうですわ。

でも、そこまでしても束縛して当然っていう態度が変わることは少ないそうですわ。

思い通りにならないことを他のモノのせいにしている人の周りからは、どんどん人が離れていきます。
それを「孤独」っていうんですね。
孤独ってのは一人暮らしとは違います。
周りを思い通りにしようとして、それができないことに苦しんでいる人を孤独っていうんですわ。
とくに束縛することが「愛」だと思ってる人はなおさらです。
世間のせいでもないし、わけのわからん摩訶不思議なもののせいでもない。誰のせいでもないんですわ。
自分が独裁者であることが原因なんですね。

家ってのは、家族みんなが「ただいま」って言える場所なんですわ。
ちがった人生の主人公が、違ったままともに自分らしさを取り戻す場所なんですわ。
自分を変えないで、相手を思い通りにしようともがいている人のことを「わがまま」っていいます。
相手を変えないで、自分を思い通りにできる人を「自分らしい人」っていいます。
家は自分らしさを取り戻す場所であり、願いと縁のあふれた場所です。
ひとりのわがままを聞く場所じゃありません。

もしも、自分を変えないで相手を思い通りにしたがる人がいる場所ならば、その場所は居心地の悪い場所になってしまいます。
「家より学校が楽しい」
「帰りたくないから会社に残る」
なんてのは、会社や学校が帰る場所になり、家は行く場所になっちゃいます。
そうなってしまえば、すでに気持ちは家を出てしまってますね。
「帰る場所」は「帰りたい場所」なんですね。


自分が変わらずに相手を変えるなんて不可能なんですわ。
ネコとイヌ
こいつらは相手を思い通りにしようとは思ってないようですわ。

いらんもんは買わんでよろしい

  • 2009.06.12 Friday
  • 18:52
どうも祟り(たたり)ってものをおこす祖先ってのは四代前か五代前の方ばっかりですね。

理由があるんですね。
一代前ですと、お父さんお母さんです。二人ですね。
二代前ですと、おじいちゃんおばあちゃん。四人ですね。
三代前ですと、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん。八人です。
ここまでは本人を知っている可能性があるのですわ。
それが大好きな人であるならば、そんな人を脅しに使ったらエラいことになっちゃいます。
「あなたのお父さんが祟ってるよ」
とか、
「あなたの死んだ子供が祟ってるよ」
なんて言われたら腹が立ちませんか?
こんなこと言われたらブチ切れる人だっていますわね。
そういう時は、その手の方々は
「迷ってる」
って言い方をしてくるんですわ。

悪いことを起こす相手ってのは、直接知らないけれど自分に関係がある相手のほうが都合がいいんですね。

これが十代前なんてことになったら
「あなたのお父さんのお母さんのおじいちゃんのおばあちゃんのひいおばあちゃんのおかあさんが祟ってるよ」
なんて言われたって、
「誰やそれ」
って話ですわ。
そこまで行っちゃうと身近の感覚がなくなっちゃうんですね。

本人を知らない可能性があり、身近に感じる相手ってのが四代前や五代前あたりなんですね。

でも、
「四代前の祖先が祟ってる」
ってことを信じられる人ってのは、四代後の子孫に祟るんでしょうか?
別の見方をすれば、あなたの四代後の子孫が、
「四代前の祖先が祟ってる」
って言うことを信じたとしたら、その祟りを起こしている該当者はあなたなんですね。あなたが祟りの原因にされて、不愉快になりません?
死んだ人は文句を言いませんけど、生きてる人ならばムッとしますわね。
それを赤の他人が言ってるとしたら、もう裁判ものですわね。
自分に聞けばするわけないことを、祖先がするわけないですがな。

「悪いことが起こる」
って言葉は聞いてれば気分が悪くなります。
その原因が祖先ってことになれば、ますます嫌な気分になりますわね。
でも、生きている限り悪いこともいいこともおこります。
その原因をどこに置くかってお話ですわ。

「悪いことが起こった」
「祖先が祟ってる」
「このままだと家族にまで悪いことが起こる」
「供養しなければいけない」
「●●を買うことがいい供養になる」
これがなんでイコールで結ばれるんやねん。

その悪いことを他のものせいにすれば、精神的には楽かもしれませんけど、同じ過ちを繰り返す可能性は大きいですね。
しかも自分の行いを他のもののせいにしている人からは、どんどん人が離れていっちゃいます。

あなたは困ったときに見知らぬ人に助けをもとめますか。まずは大好きな人に助けを求めますわね。
見知らぬ人が自分の祖先の話をして、なぜに信用できるか。
「私には見える。あんたには見えない」
なんて話になったら、せめて祖先の名前ぐらいは聞きましょう。
「苦しんで言えるような状態じゃないからわからない」
なんて話になったら姿かたちぐらい聞きましょう。
どっちにしろ、
「苦しんでるから、姿かたちがかわってしまってる」
みたいな話になって、
「信じないんなら悪いことが・・・」
なんて言いながら、商売の話に変わっていくんですね。
見える見えないなんて話になったら、証明しようがないんですね。
ならぱ自分が確認できる「見えない」って方を拾いとるべきなんですね。
相手の言葉を成立させる方法はただひとつ。
「見える」って言葉をまるっきり疑いなく信じるしかありません。これをマインドコントロールって言います。

さてさて、次は供養ですわね。
その祖先がいたからこそ、自分の命がそこに存在してるんですね。
その方がこの世に生まれてこなかったら、自分の命が存在してないんですね。
自分の家族と一緒に、その方のくださった縁に感謝することが大切ですわ。

ところが感謝どころか、負担を強いることが供養ってんですから理解できへん。
「●●を買いなさい。高いほど供養になります。リボ払いもOKです」
なんで●●を購入することが供養なんでしょうか?
これがイコールで結ばれることが問題なんですね。

前に相談を受けたことがあるんですけど、
「偉い先生がやってきて、お墓の中に苦しみの原因があるから調べてみなさい」
って言われたので、墓を調べたら古文書が出てきて、恨みつらみが書いてあったそうです。
そんで、なんか墓の前で儀式をしてもらって、古文書を燃やしたってなお話でしたわ。

墓を見ましたらバールかなんかでこじ開けた新しい傷があるんですね。
偉い先生とやらのときはバールなんかで開けてないってんですね。
何年も開けたこともない墓がスムーズに開いたってのも言ってましたわ。
若夫婦はワテがなにを言ってるかは察知したみたいですけど、バアチャンは
「偉い先生」
の一点張り。
大金渡しちゃったみたいですし、知り合いにも紹介しちゃったみたいなんですね。
引っ込みがつかないんですね。

「だまされただけなら被害者やけど、それを他の人に紹介したら加害者とおんなじやで」
ってだけ言いましたわ。
もちろん聞く耳はありませんでしたけどね。
マインドコントロールの呪縛から解放されるためには、最後の最後は自分の力で出てこないとムリなんですね。
「だまされてた」
って認めることは、ナカナカつらいことのようですわ。

生きていれば、いいことも悪いことも起こります。
思い通りになることのほうがヨッポドすくないですもんね。
それを祖先のせいにしたり、場所のせいにしたり、道具や宗教、方角のせいにしたってなんにも解決しません。
もちろん、必要もないへんなものを高く買ったってどうにもなりません。
そんなものに大金を使うぐらいなら、子供や孫に
「旅行にでも行っておいで」
ってなことを言いながらあげたほうが、よっぽど喜ばれますし、必要ないものを買うよりも家庭円満になる効果は抜群ですね。

悪いことの原因に自分がされたら、耐えられますか?
三文判で十分です
ハンコってのは、書類なんかに押し、そのしるしによって責任なんかを証明するものなんですね。
そんなもんに思い込みでしか成立せんような別の意味をもたせてドースんねん。
三文判で十分ですだ。

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