供養ってなあに 法事ってなんのためにするの

  • 2017.08.20 Sunday
  • 00:46

法事は死んだ人の為にするものではないし、 そんな事を目的にするとしたら、 その法事はまったく意味がなく、 する必要はありません。    

 

「法事の目的はなんですか」

とたずねると、 たいてい供養という言葉が返ってきます。

ところがその供養という言葉は、 とんでもない意味で 使われている場合がめだちます。

「死んだ人が化けて出てきて 悪さをすると嫌なので、 たまにお経をあげて お供え物をすれば、 しばらくは化けて出てこないだろう」

と。

 

こんなひどいことは考えたことがないと 思われた人もいるでしよう。

でも、供養と言うものは、 生きている者が死んだ人に してやるものだという 思いがありませんか。

それが間違いです。    

 

あなたの亡くなった大切な人を 思い出して下さい。

その方はあなたに金にならない多くの財産を、

命懸けでのこしてくれませんでしたか。

 

それは教えという名の財産です。

例えば、交通事故で亡くなった方は、

交通事故の恐ろしさを文字どうり 命懸けでおしえてくれたのです。

「おい交通事故とは恐ろしいぞ。 残された者は、交通事故に気を付けろよ」

と。

 

戦争で亡くなった方も

「戦争とはこんなに恐ろしいものだ。 わしらは殺されてしまった。 わしらだけでない。あの戦争がなかったら、 いまの世にもっと多くの子供たちの声が聞けただろう。 そんな子供たちが生まれる可能性を みんな殺してしまったのがあの戦争だ」

と、 命懸けの叫びがそこにあるはずです。

 

教えで分かりにくかったら思い出でもいいです。

命懸けの思い出。

それは、あなたが生きていくために 大切なもののはずです。

あなたの人生のみちしるべとなるものです。

 

しかし、亡くなった人の思い出は楽しい思い出だけとは限りません。

それは反面教師も含まれます。

あなたの嫌いな亡くなった人は、

「こんな事したら、嫌われるよ」

と 教えてくれたのかもしれませんね。

 

供養とは、その教えに対して

「有難うございます」

という意味です。    

 

何故、そんな涙を流した。

なんで、そんな葬式をした。

何故、そんな法事をする。

その人が、死んだからです。

その人が、生きていたら そんなものは一つもなかったのです。

してやってたんじゃない。 じつは、命懸けで 流さしてくださった涙ではないですか。

命懸けであたえて下さった 法事の場ではないですか。

じつは命懸けでさせてもらった場が、 法事なのです。

亡くなった大切な方を 思い出して下さい。

 

そこに教えという、 あなたにとっての人生の 宝が限りなく見えてくると思いますよ。

 

 

 

思い出はかけがいのない道しるべです。

一生、安らかに眠らせないでください。

 

 

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