孤高の漫画家、藤井昌浩死去

  • 2016.01.14 Thursday
  • 16:02
いつものように年が明け
休みなしに働くわたしに
届いた手紙に
黒い縁取りはありませんでしたが、
かなりショックな内容でした。



時は1980年代初頭。
舞台は大阪芸術大学。
大学裏山の向こうにある田んぼと原生林の間にそびえ立つプレハブ三階建の豪邸。
学生寮ぼ○ん荘がわが城でありました。

そこに現れた巨漢の後輩が、


広島からの刺客。自称殺人柔道の使い手。
漫画家志望の藤井昌浩でありました。

わが城ではフツーの学生の生活が毎日のように繰りひろげられていました。

優しい先輩からはビール茶漬けをゴチになって、まずさで涙した思い出。
かわいい後輩には少ない量で気持ちよくなってもらうために安い酒をコップでごちそうし、そのあとダッシュ10本。
ゴミ箱にある先輩のタバコの長いシケモクは、みんなのあこがれのものでした。



愛情あふれるお城だったのです。



藤井はデザイン学科在籍で、


非常に

絵がうまかったです。


しかし彼は専門課程を嫌い、4年間ずっと基本を貫き1回生を貫き通した強者でアリンした。
午前中は起きたら死ぬと思ってたんではないか。
頑張って叩き起こしたこともありましたが、起きひんのだわ。
水ぶっかけて起こしたら次の日からカギかけやがった。



講義には行きませんでしたが、頼まれればノーと言わない。
劇団☆新感線のパンフレットや背景の絵を書いてたりもしてましたのです。


そういえば新感線の劇中で、書いた背景が逆さまで使われたと激怒してわたしに訴えたことがありましたが、
心配するな、おまえが思ってるほど気にもならん。
逆さまでもなんの違和感もなかったぞ。

わたしが東京に別れを告げ京都に行かなければならなくなったのと入れ替えで、藤井は1回生のまま4年を過ごした大学に別れを告げ東京にやって来ました。



絵はうまかったのですが、うまいから売れるような簡単な世界ではありませぬ。
有名な漫画家のアシスタントになって、ときどき4コマまんがを書いている生活をしているというお話でした。

何年か後に長編が雑誌に載るとの連絡がありましたのです。
これは手に入れないと。
聞いたことない雑誌名でしたのですので、ちゃんと手に入れるために知り合いの本屋に注文。
入荷したとの連絡を受けて取りに行きますと、バカヤロウ!
エロ雑誌のエロ漫画。
知り合いの本屋にメッチャいいわけしましたが、聞いてませんがな。

そのあと空前のゲーム4コマまんがブーム。

「藤井昌浩(著)双葉社
くにおくん!熱血勝負!!」

メジャーデビューですがな。
お祝いの電話をかけましたのです。
しかし、わたくしくにおくんゲームをしたことないから読んでもオチがわからん。
藤井いわく
「わたしもしてないから大丈夫ですよ」
ホントでもウソでもオモロイ。
さすがの答えです。


生活にも安定が見えましたので、邪魔をしたくもなかったので連絡を取ることも少なくなり、現在に至る。
いきなりこの手紙です。
よくわからんので名前で検索をかけましたら。
浩浩堂
の、う、こう、そくぅ?

楽天で即座に買って読んでみました。


確かに暴飲暴食、タバコ、酒、不眠不休は80年代の当然のたしなみでしたが、子供が出来てまでやり続けるバカがどこにいる。

先輩より先に往くとはなんたる不義理。



昔でしたらローリングソバットからオクラホマスタンピート、スコーピオンデスロックの刑確定です。
子どもと奥さんを残して勝手に往っちゃうのは留年とはわけが違うんだぞ、バカタレがあ!

      寂

 
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