項羽と劉邦の言葉

  • 2015.01.18 Sunday
  • 16:38
紀元前232〜紀元前202 中国 秦末(こうう)
紀元前247〜紀元前195 中国 秦末(りゅうほう)







項羽が 愛人虞美人と別れるときにうたったうた

 
   
   力は山を抜き、気は世を蓋う

   時に利あらず、騅(自分の馬の名)は逝かず

   騅逝かざるをいかんせん

   虞や虞や、なんじをいかんせん






劉邦が天下平定のあと、 故郷に帰り 昔なじみの人達と会った時にうたったうた

   
   
   大風起こりて雲飛揚す

   威は海内に加わりて故郷に帰る

   いずくにか猛士を得て 四方を守らしめん







項羽は自分に自身がありすぎ、全ての闘いの勝利は、 自分の力によるものだと考えました。
モチロン、部下の言うことなんかは1つも聞きません。
部下への恩賞も公平にかくものであり、 部下の不満も大きなモノでした。
敵の投降も全く許さず、 降伏してきた兵隊20万人を生き埋めにしたこともあります。

項羽のうたの前半を簡単に説明すると、

自分の力や、
カリスマ性は偉大であるのに
私が逃げるのは、
時が悪かったためであり、
愛馬が悪かったためである

と言う事です。
自分はゼンゼン悪くないのに、 回りのミスで負けちゃったと言っているんですね。
虞美人は、項羽の足手まといにならないように、 自害したらしいです。
でも、項羽にはその優しさは通じなかったみたいですね。
虞美人の死への悲しみは、 自分のために死んでくれた感謝ではなく、 自分に断りも無く、 死んでしまったことに対する悲しみですね。
それも、自分のせいではなく時のせいなんですね。

ついでに、項羽の最後の言葉が、
「天の我を滅ぼすなり。戦の罪にあらざるなり」
です。
自分が滅びるのは 天のせいであって、自分は悪くないよということです。
自分がえらくなりすぎて、 自分と他の人との関わりがまったく見えなくなっちゃったんですね。


劉邦の言葉はこれまた対照的です。

乱れた天下を平定し、
田舎に帰る事が出来たが、
この平和を守るために、
なんとかして勇猛な士を得たいものだ。

と言う事です。

劉邦は自分には才能が無いから、 作戦計画なら軍師にまかせるし、 野戦なら指揮官にまかせる。
投降はすべて受け入れる。
包容力があったんですね。

天下統一のあとも、 部下達が頑張ってくれたおかげであると言っています。
自分がよく見えていたんだと思います。

でも、このうたをうたった7ヶ月後に劉邦も死にました。
死後は劉邦の奥さんが国をグチャグチャにしてしまいましたが、 その後は長い平定が続きました。

みなさんはどちらの生き方がすきですか?
平等と均等は違うのです。
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