ウィリアム・アダムス
- 2008.06.04 Wednesday
- 18:33
三浦按針って日本名があります。みうらあんじんと読みます。イギリス人です。
徳川家康の相談役として有名な人です。
もともとは豊後の国に難破してきた漂流民だったんですね。
問題はこの漂流してきた船、リーフデ号がオランダ船であり、アダムスがイギリス人であったことです。
オランダやイギリスはキトキトのプロテスタントだったんですね。
当時、日本で幅をきかせていたのは戦う教団、カトリックのイエズス会。
ヨーロッパでもカトリックとプロテステタントはものすごい争いを繰り返していました。
イエズス会はカトリックのなかでもかなり過激な団体です。
イエズス会の宣教師たちは、アダムスたちの漂着直後に豊後の太守に漂流民すべてを
「イギリスやオランダは悪魔の国であるから全員を磔にかけろ」
って処刑することを嘆願してるんですね。それがかなわないと知ると、時の権力者、豊臣秀吉に直接、
「海賊船であるから生存者全員を処刑すべきである」
って訴えたみたいですね。プロテスタントが自分たちのナワバリに入ってくることにかなりの嫌悪感を抱いてたようです。
ウイリアム・アダムスは、徳川家康から二百石以上の石高で召抱えられたみたいです。信頼されてたんですね。
このオランダ船の出現は日本から見れば、カトリック教国以外のヨーロッパ人との交流の始まりだったんですね。
イエズス会宣教師の目的は布教です。
布教を認めることにより、貿易のメリットを与えてたんですね。ルイス・フロイスなんてのは代表的な人ですね。織田信長や豊臣秀吉の相談役みたいなことをしていた人です。
南蛮貿易と武器で大名を取り込み、国内に戦争を起こさせ、布教していくってやりかたですね。最終的には宗教統一をして、植民地政策です。取り込んだキリシタン大名は味方なんですね。
カトリック教国の植民地政策のためには土民の宗教は悪魔の教えです。
比叡山焼き討ち、紀州攻めなんかは殲滅を狙った戦です。
長島の一向一揆なんかも降伏も許さなかったんですね。逃げ出そうとした人たちも男女子供も問わず、鉄砲の大乱射で全滅させているんですね。
越前一向一揆に対する戦いも、現在の福井の武生で、たった一日で三千以上の首を集めたってんですね。
ジェノサイドです。
もしかしたらフロイスなどのイエズス会宣教師が他宗教を悪魔呼ばわりすることにより、権力者のジェノサイドに対する罪の意識を軽減することに一役買っていたのかもしれません。
実際にルイス・フロイスが豊臣秀吉の伴天連追放令によって、権力者の下を去ってからは宗教虐殺は無くなったといっていいぐらいに減っていきます。
カトリック教国が狙ったのは植民地です。宗教統一を目指し、言葉も文化も本国のものにしていくんですね。
その宣教師の世界情勢を伝える言葉は本国やカトリックに都合のいいものしか伝えなかったでしょうね。
もうひとつ言えば言葉の主語が自分じゃないんですね。これはカトリックだけの問題ではないですね。
主語が自分じゃなく、「神」や「仏」、「先生」や「国家」、「権力者」なんかになってしまった人の言葉って聞きづらいんですね。
言葉が他人事に聞こえるんですね。
それだけでなく、ヘタをすると上からものを言ってるかのような言葉に聞こえます。つまり偉そうに聞こえちゃうんですね。
そんな南蛮人しか見たことがなかった徳川家康の前に、国の代表でもなく宗教関係者でもなく、船長でもない、タダの航海士のウイリアム・アダムスが現れたんですね。
アダムスの言葉は、「神」や「本国」っていうオブラートに包まれていない言葉だったと思います。事実を事実としてしか伝えないアダムスの言葉は、イエズス会宣教師の言葉とはまるで違ったものであったらしいです。アダムスが伝えた世界観は、イエズス会が伝えたものとはまるで違ったようです。
実際に徳川家康はイエズス会から離れ、オランダよりになって行きます。
徳川幕府はポルトガルと断交し、鎖国していきます。オランダは出島という条件付ですが交易が続くんですね。
ある意味、植民地政策が失敗したのはアダムスが日本に来たことがひとつの要因なんですね。
徳川家康がアダムスを信用した理由はイロイロあると思いますけど、オブラートに包まれていない言葉ってのは重要だったと思います。
いまでも「世間では」とか「一般的に」なんて言葉って聞きづらいですものね。その中に自分がいるのかいないのかわかりませんものね。
責任逃れのために主語にされた方だってメイワクですよね。
自分を主語にする言葉って聞きやすいですよね。
花に日が当たってると、美しさかよく分りますね。夜だと見えません。
徳川家康の相談役として有名な人です。
もともとは豊後の国に難破してきた漂流民だったんですね。
問題はこの漂流してきた船、リーフデ号がオランダ船であり、アダムスがイギリス人であったことです。
オランダやイギリスはキトキトのプロテスタントだったんですね。
当時、日本で幅をきかせていたのは戦う教団、カトリックのイエズス会。
ヨーロッパでもカトリックとプロテステタントはものすごい争いを繰り返していました。
イエズス会はカトリックのなかでもかなり過激な団体です。
イエズス会の宣教師たちは、アダムスたちの漂着直後に豊後の太守に漂流民すべてを
「イギリスやオランダは悪魔の国であるから全員を磔にかけろ」
って処刑することを嘆願してるんですね。それがかなわないと知ると、時の権力者、豊臣秀吉に直接、
「海賊船であるから生存者全員を処刑すべきである」
って訴えたみたいですね。プロテスタントが自分たちのナワバリに入ってくることにかなりの嫌悪感を抱いてたようです。
ウイリアム・アダムスは、徳川家康から二百石以上の石高で召抱えられたみたいです。信頼されてたんですね。
このオランダ船の出現は日本から見れば、カトリック教国以外のヨーロッパ人との交流の始まりだったんですね。
イエズス会宣教師の目的は布教です。
布教を認めることにより、貿易のメリットを与えてたんですね。ルイス・フロイスなんてのは代表的な人ですね。織田信長や豊臣秀吉の相談役みたいなことをしていた人です。
南蛮貿易と武器で大名を取り込み、国内に戦争を起こさせ、布教していくってやりかたですね。最終的には宗教統一をして、植民地政策です。取り込んだキリシタン大名は味方なんですね。
カトリック教国の植民地政策のためには土民の宗教は悪魔の教えです。
比叡山焼き討ち、紀州攻めなんかは殲滅を狙った戦です。
長島の一向一揆なんかも降伏も許さなかったんですね。逃げ出そうとした人たちも男女子供も問わず、鉄砲の大乱射で全滅させているんですね。
越前一向一揆に対する戦いも、現在の福井の武生で、たった一日で三千以上の首を集めたってんですね。
ジェノサイドです。
もしかしたらフロイスなどのイエズス会宣教師が他宗教を悪魔呼ばわりすることにより、権力者のジェノサイドに対する罪の意識を軽減することに一役買っていたのかもしれません。
実際にルイス・フロイスが豊臣秀吉の伴天連追放令によって、権力者の下を去ってからは宗教虐殺は無くなったといっていいぐらいに減っていきます。
カトリック教国が狙ったのは植民地です。宗教統一を目指し、言葉も文化も本国のものにしていくんですね。
その宣教師の世界情勢を伝える言葉は本国やカトリックに都合のいいものしか伝えなかったでしょうね。
もうひとつ言えば言葉の主語が自分じゃないんですね。これはカトリックだけの問題ではないですね。
主語が自分じゃなく、「神」や「仏」、「先生」や「国家」、「権力者」なんかになってしまった人の言葉って聞きづらいんですね。
言葉が他人事に聞こえるんですね。
それだけでなく、ヘタをすると上からものを言ってるかのような言葉に聞こえます。つまり偉そうに聞こえちゃうんですね。
そんな南蛮人しか見たことがなかった徳川家康の前に、国の代表でもなく宗教関係者でもなく、船長でもない、タダの航海士のウイリアム・アダムスが現れたんですね。
アダムスの言葉は、「神」や「本国」っていうオブラートに包まれていない言葉だったと思います。事実を事実としてしか伝えないアダムスの言葉は、イエズス会宣教師の言葉とはまるで違ったものであったらしいです。アダムスが伝えた世界観は、イエズス会が伝えたものとはまるで違ったようです。
実際に徳川家康はイエズス会から離れ、オランダよりになって行きます。
徳川幕府はポルトガルと断交し、鎖国していきます。オランダは出島という条件付ですが交易が続くんですね。
ある意味、植民地政策が失敗したのはアダムスが日本に来たことがひとつの要因なんですね。
徳川家康がアダムスを信用した理由はイロイロあると思いますけど、オブラートに包まれていない言葉ってのは重要だったと思います。
いまでも「世間では」とか「一般的に」なんて言葉って聞きづらいですものね。その中に自分がいるのかいないのかわかりませんものね。
責任逃れのために主語にされた方だってメイワクですよね。
自分を主語にする言葉って聞きやすいですよね。
花に日が当たってると、美しさかよく分りますね。夜だと見えません。