ルイス・フロイスの手紙

  • 2008.05.15 Thursday
  • 17:04
ルイス・フロイスってのはポルトガル人で、イエズス会員カトリック教会の宣教師をしていた人ですだ。
織田信長のお気に入りの人ですね。


この方が紀州について、イエズス会に送った報告書ってのがあるそうです。
紀州ってのは和歌山県あたりですね。

「紀の国はことごとく悪魔をあがめる国である」
ってことが書いてあるようです。

宗旨によって、ひとつの独立国のようになっていて侵略が難しいみたいなことが書いてあるみたいです。

その紀州の悪魔をあがめる教えが四つ。
ひとつに高野山。
ふたつに粉河寺。
みっつに根来寺。
よっつに雑賀。
って報告していたみたいです。

織田信長の寺院虐殺は、ルイス・フロイスの悪魔の教えを消滅させる願いと一致していたみたいです。

織田信長の天正5年の雑賀一向一揆攻めなんかでも、メチャメチャの大攻撃をして、雑賀を降伏させたんですけど、信長軍が引き上げたらさっさと一向一揆軍に戻っちゃったみたいです。

ですから、宗教弾圧は根こそぎの全滅作戦にこだわったみたいですね。ルイス・フロイスにしてみれば、悪魔の教えがなくなったほうがあとの宣教師活動も楽ですものね。

信長のあとの覇者、豊臣秀吉の天正13年の紀州攻めも凄惨なものだったみたいですね。このころはまだ、フロイスは秀吉のもとにいました。

天正15年にフロイスは覇者の下を去ります。秀吉の伴天連追放令が出た年です。
このあとは、宗教団体に対する戦争は減っていきました。
覇者は宗教を権力の中に取り込んでいく政策に転換していくんですね。

世界史はヨーロッパ中心に描かれています。
いい例がバスコ・ダ・ガマです。
インドへの航路を初めて「発見」したって人ですね。
そのころは、東アジアから中近東、アフリカ東海岸にかけて、大きな貿易ルールが存在してました。巨大な貿易のためのジャンク船が行き来してたんですね。

そこにいきなり現れたバスコ・ダ・ガマのキャラック船は悪魔の戦艦でした。
一説によると、出会うすべての船の乗組員を皆殺しにし、その首を甲板からズラリとぶら下げて航海を続けていたみたいです。
交易航海なんかじゃないんですね。虐殺航海なんです。
文化は破壊して征服するってのが大航海時代のやり方だったフシがあります。

カトリック教国がやってたらしいんですけど、植民地を作るひとつの方法として、宣教師が先に入り、布教の中で反乱を起こさせ、それが大きくなるのを見計らって本国から大艦隊を送り征服。そのあと本国に宗教的服従な反乱軍に属国として統治を任せるってやり方があったそうです。
このやり方ですと、宗教はモチロン、文化や言葉でさえ、統治国のものになっていく場合が多かったみたいですね。

日本の最後の宗教大虐殺は、イエズス会の長崎での島原の乱です。
苛酷な年貢の取立てと、飢饉、厳しいキリシタン弾圧が重なって起こった反乱ですだ。
兵糧攻めや長距離砲の攻撃にもガマンして、立てこもり続けた3万7000人の人たちの最後の心のよりどころは
「ポルトガルから大艦隊が来て、私たちを助けてくれる」
って思いだったみたいですね。

実際にそういう計画はあったみたいです。でも、カトリック教国にしてみれば、幕府の力が強すぎることと、大艦隊を送るには極東は遠すぎたみたいですね。

島原の乱を弱体化させたのは、オランダ船からの攻撃だったんですね。
オランダはプロテスタントの国です。カトリック教国とは敵対していてたんですね。

乱鎮圧の次の年、幕府はポルトガルと断交します。
オランダは出島という条件付でしたが、ヨーロッパで唯一、江戸時代に正式な交易が続けられたんですね。

弾圧の中では何も生まれませんね。


紀の国の海は昔のままですだ。
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