独裁家庭

  • 2007.05.22 Tuesday
  • 00:01
ドフトエフスキーの罪と罰の中に
「選ばれし人間は、人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある」
ってのがあります。これって傲慢そのものの言葉ですよね。加害者が罪を正当化する言い訳にはなりますけどね。これの悪質なのは「悪さ」を正義にしちゃうところなんですよね。
もちろん、こんな論理は被害者には通用しません。

この「人類」ってところに「家庭」を入れちゃうと独裁家庭が出来ちゃうんですね。

「選ばれし親は、家庭のため社会道徳を踏み外し、教育って名前で子供を独裁する権利がある」
これが虐待ですね。

「選ばれし旦那は、家庭のため社会道徳を踏み外し、愛って名前で嫁を独裁する権利がある」
これがドメスティックバイオレンスですね。

まあ、「XXXのため」っていうやつは、行動の卑劣さをだますのには、都合のいいものですよね。
だましてる相手が問題なんですけどね。
相手は自分なんですね。
だましきってるから、相手が怒り出したり、反抗し出したら、
「なんで俺の優しさがわからんのや」
って怒り出したりするんですよね。


でも、これって加害者だけの言い訳であって、やられている人間にとってみれば
「自分に責任も持てない独裁者のたわごと」
にしか聞こえないんですけどね。

同じ行為を、自分にされたら、
「ありがとう」
って言えないものを相手に押し付けているとすれば、どんなに自分に嘘をついたって、相手から出てくるのは憎しみしかないんですよね。
すくなくとも「独裁欲」と、「教育」や「しつけ」とは違うんですよね。
「独裁欲」と「愛」も違うんですよね。

相手に対して、自分が選ばれしものであり、相手のため社会道徳を踏み外し、相手を独裁する権利があると思った時点で、相手は離れていくだけですね。

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