仏という言葉は、 間違った意味で使われる場合のほうが多く聞かれます。
一番多いのは、死体にむかって
「ほとけさん」
と言うことではないでしょうか。
それは、ただの亡骸です。
死体が仏ではないのです。
死んだら仏になるというのはそんな意味ではないのです。
つぎの間違いは、
「神や仏も無いものか」
という仏です。
それは、あなたの欲望を満たしてくれる 神も仏もいなかったというだけのことです。
そんなあなたにとって都合のいい神も仏もこの世には存在しません。
つぎは、葬式の弔辞などでよく聞かれる 間違いの仏です。
「成仏してくれよ。 やすらかにねむれ。 冥福をいのる」
成仏してくれとは、 仏に成ってくれと言う事です。
人間が死んだ人を 仏にしたりさせなかったりすることが できると思いますか。
かりにできたとするならばその仏は人間以下の仏です。
人間が人間の力で 死んだ人を仏にする事が出来る人など、 この世には存在しません。
もしそんなことを本気で言われる方が あなたの前に現われたら、 その人はよっぽど思い込みがはげしいか、 詐欺師かどちらかです。
やすらかにねむれや、 冥福をいのるのも、 そう思うのはその人の勝手です。
でも誰かその人がやすらかになった姿を 確認した人がいますか。
冥福な姿を確認した人がいますか。
誰も見たことがないのです。
もう一つあります。
友引の日に葬式をすると知り合いを殺したり、 葬式のあとに 塩で身をきよめなければならない相手。
たたったり、 悪さをする相手。
これはもう論外です。
仏ではなく、 鬼か悪魔と言ったほうが合っています。
あなたの、亡くなった大切な方々は、 鬼か悪魔ですか。
そんなことはないはずです。
仏とは、教えです。
思い出です。
あなたの本当の姿をうつす鏡です。
己れの心の中を みつめなおさせるものが仏です。
「わたしは死んだ人を縁として 己れの心の中をみつめなおさせていただきます」
その宣言が忌中です。
だから忌中とは己、心、中と書くのです。
たとえば
「あんな死にかたをして あの人は迷っているんじゃないか」
といったものの言い方を する人がいるとします。
死んだ人が迷っているんじゃない、 そう思っているその人の心の中が 迷っているのです。
あなたの苦しみ、 迷いを 死んだ人に押しつけないでください。
ごまかさないで生きてください。
あなたは、限りなく多くの御縁によって生きています。
その御縁すべてが仏なのです。
死んだから仏じゃない。
なにかの条件を満たしたから 仏になるんじゃない。
あなたにとって仏ですか。
これだけです。