信仰ってなあに

たいていの場合が思い込みです。

 

別の言い方をすれば、 思い込みでしか成立しない わけの分からない宗教が多いということです。    

 

祈ったり、 お金をだしたりして 願いがかなう、 もしくは 死後に良いところに往ける などといった考え方は まさしくこれに当てはまります。

 

そう信じた人の心の中でしか 成立しません。

このような教えは、

その教えに対する疑問も許してはくれません。

「おまえの信仰が足らないのだ」

とか

「その疑いの心が最大の悪なのだ」

などと言って、 思い込みを強めさせます。

 

そして考えることを 止めさせるのです。

 

そうなってしまえば、 その人は自己を完全に見失っています。

これをマインドコントロールと言うのです。    

 

これは、

「他の者よりも幸せになりたい」

とか

「他の者よりもすぐれた能力を持ちたい」

と言う人間の欲が生み出した結果です。

 

他の者と比べることでしか 生きる価値を見いだせない人は、 遅かれ早かれ その様な詐欺集団に だまされる可能性があります。

 

他人や他のもののせいにして責任逃避したがる人などは、 典型的な例です。

運命や偶然、神秘的な力みたいな非現実的なもののせいにしたり、占いや呪い、おふだなとにたよったりする人のことです。

自分の人生なのに、自分で決めることを放棄してしまってます。

 

本当の信仰は、 自己を振り返ることが出来るものです。

他と自分を比べる事を止め、 他の者よりも良くなりたいと思ってしまう 欲のかたまりである 自分を見つめなおす事、

自己反省をうながす事が 信仰なのです。     

 

信仰は 思い込みでは有りません。

自己を振り返る事です。

 

 

 

人生の主人公は自分しかいないんです。

主人公を放棄するのは自己を失うことです。

 



宗教ってなあに

あなたにとってかなめの教えのことです。

 

それは、宗教法人法に適用されているか、いないかは 関係ありません。

あなたの人生にとって 一番たいせつな教えがあなたの宗教です。

 

宗という字を辞書で引くと

「おおもと、かなめ」

と出てきます。

それが宗教です。    

 

いま、色々の新興宗教や、 倫理団体が、 家の宗教と両立できる、とか

もしくは 我々は宗教団体ではないといって 勧誘をすすめていますが、

かなめの教えが その人にとって 二つも三つもあるはずがないのです。

 

かなめの教えが 二つあれば それは両立などありえないのです。

あなたが 自分にとってすばらしいと思われる 教えがあるならば、 他の教えをすてて下さい。

 

それは宗教法人法に適用されているかいないかは、 まったく関係ありません。    

 

ただし、宗教は 生きていく為の教えでなければなりません。

自分の心の中を見つめなおすことが出来る教えでなければ 宗教の意味がありません。

 

どんなにきれいな言葉を使っていても、自分だけが正しいと思ってしまえば自分を見失なってしまいます。

自分の自由と責任を見失ってしまう。

自分の罪の意識をないものにしてしまう。

自分がされたら耐えられないことを他人に平気でしてしまうようなことを正当化してしまう。

こんな教えをかなめとしてしまえば、自分がなくなってしまうだけです。

自分を偽るために利用するようなものは、自分を孤独におとしめるだけです。

 

 倫理道徳感を高めて、 じぶんが他の者より すぐれているといった 勘違いを勧めている教えは 聞くに値しません。

かぎられた条件の者だけが 死後にすばらしいことがある なとどいったことを うりものにしている教えは 論外です。

 

気を付けて下さい。

 

自分を偽っている限り、安らぎの心はありませんね。

 

 

春は冬をこえてやってきてくれます。

 

 

JUGEMテーマ:宗教



輪廻ってあるの

生きとし生けるものには全て命の限りがあります。

 

その命は次の命に続きます。

 

植物性プランクトンは動物性プランクトンに食べられ、

そのプランクトンは小魚に食べられ、

小魚は大きな魚に食べられ、

その魚の死骸によって、プランクトンが繁殖します。

 

輪廻は死んだ後に生まれ変わるなどと言う 思い込みのものではありません。

 

自然のいとなみです。

自然の厳しい現実です。

目に見えるものです。

 

私たちは多くの命を殺して、生きているのです。

当たり前ではなく、 罪を浄化する方法もありません。

 

でも、感謝することは出来ます。

「いただきます」

「ごちそうさま」

命への感謝です。

 

当たり前のことが当たり前ではなく、 多くの命によって、生かされているのが私たちです。

 

輪廻と言う言葉は、人生の逃げ言葉ではありません。

私たちが多くの命によって生かされている現実を見つめる言葉です。

 

 

冬が過ぎたら春がやってきます。

 

JUGEMテーマ:仏教

 



宿業ってなあに、逃げれないものなの

命あるものとして存在すれば、 その命にかかわった多くの命が存在しました。

父母がいなければ、子供は存在しません。

 

父母にも、それぞれ父母がいます。

その親にも親が存在しました。

たった30代前で、10億人以上の人が関わっているのです。

その一人でも欠けたら、あなたは存在しないのです。

 

あなたの命が存在するために、多くの命が存在したのです。

 

仏教で言う宿業を前世の業とする人がいます。

生まれ変わりとか、輪廻とか呼ばれているものです。

 

それは思い込みでしか成立しないものです。

全ての責任を押し付けるには都合のいい言葉かも知れません。

「業が深いから。」

とか、

「前世の悪業のせいだ。」

とか、

自分の置かれた現実から逃避するには都合がいいでしょう。

この前世と言う逃げ道が全ての関わりを否定してしまうのです。

 

ものごとには全て原因があります。

その原因から逃げ出している限り、なにも解決しません。

 

宿業とは、自分の命に関わった全ての命のことです。

命だけではなく 性格や考え方、生き方など、いろいろな影響を受けてあなたの今があるのです。

 

そしてその宿業はあきらめの為のものではありません。

悪いものであれば、未来に向かっての反省材料であり、 良いものは、未来への財産となるものです。

 

たとえば、あなたが父母や祖父母の争いを見て、悲しい思いをしたとします。

ならば、あなたの子供にはその悲しみを与えないでほしい。

同じくりかえしをどこで止めるのですか?

 

悲しい財産は相続させないでください。

あなたで止めて下さい。

 

 

季節は忘れずに変わってくれますね。

 

JUGEMテーマ:人間関係



亡くなった人とはもう会えないの

あなたにとって亡くなった大切な人は あなたの心の中で生きています。

 

その思い出は あなたの涙の中にだけ存在します。

その涙から逃げない限りいつでも出会えます。

 

困ったとき、疑問を持った時、 その涙の中に生きている大切な人に聞いてみてください。

でも、 大切な人からの答えはいつも同じです。

 

それは

「俺の前でまで、自分にウソをつくなよ」

です。

 

自分が悪かったのに

「ごめんなさい」

って言えない自分。

自分が助かったのに

「ありがとう」

ってって言えない自分。

そんなウソをつく必要がない相手。

必要がないというよりも、ウソをつけない相手 それがあなたの涙の中に生きている大切な人なのです。

 

 

自分を見つめさせてくれる、 あなたにとって大切な方 その方があなたの涙の中に生きています。

 

 

 



死んだらどうなるの

火葬場って悲しい所ですよね。
何回行っても慣れることはありません。

人の亡くなり方ってイロイロですけど、
お姿があるときには、
生前に縁の深い人が亡くなった人との思い出を語ったり、
泣きながら話しかけたり、
イロイロな風景を見ることが出来ます。

火葬場ってのは形がなくなるんですよね。

扉が閉まるときに引き裂かれるような気持ちがしますよね。
「火をつけるのを止めて」
って言ってもダメなんですよね。

その人の命が終わるときってのはお医者さんが教えてくださる時かもしれません。
でも、残された人間にとってみたら 火葬場のふたが閉まったときかもしれませんね。

ふたが開いて、
白い骨が出てくる時、
決して諦めるではない、
言葉では言い表せないけじめがつきますね。
言葉では言い表せないけじめは悲しみというつらさの中にありますよね。

自分の悲しみという心の中にその人が生き続けてるんですよね。
心の中に生き続けている思い出。
あなたにとってのその人の命。
その思い出を、
あなたが生きている限り安らかに眠らせないで下さい。  

外を見れば、いつもと同じように時が流れているんですよね。

 
 


死んだらどうなるの

誰も見たことがありません。
ただ昔からその考えかたは 三つしかありません。

ひとつは、そこで全て終わり、 まったく無になるという考えかたです。
何もなくなるのです。

もうひとつは、生まれ変わるという考え方です。
輪廻という言葉で 新興宗教がよくつかう方法です。
こ れも
「あなたは昔の中国の王妃の生まれ変わりです。」
などと、 良い方に言えば 聞いたひとは喜びますが、
「あなたはゴキブリの生まれ変わりてす。」
と入った様に、 悪く言えば誰も聞きません。
それを言っている人間の心の中、信じこんでるここの中でしか 成立しない教えです。

最後のひとつは、 別の世界が待っているという考え方です。
地獄、 天国、 極楽など それは色々な言葉で表現されています。
でも、誰も見たことがないのです。    

死んだらどうなるの。
その問いはそのまま、
「何故生きているの。」
という問いです。

言い訳や逃げ道のための死後の世界は思い込みの中にしかいません。
死後の世界はあなたの逃げ道ではありません。
命の帰るところです。
あたなにとって大切な方の、二度と会えない別れから立ち上がるための世界です。
あなたの思い出が生きる場所です。
生きている人は悲しみから立ち上がり、次の一歩を歩まないといけないのです。

死ぬために生きるのではありません。
生き終わるのが死です。
あなたの死後を、 脅しや 金儲けに つかうやからの言葉に 耳を傾けないでください。
 


地獄ってなあに悪いことしているからみんな往っちゃうじゃない

お経に地獄が書かれている理由は

死後の脅しではありません。

たとえば子供が真夏に窓を開けた縁側で

おなかを出して寝ていたら何と注意するでしょう。

「夕立が降ってきて寝冷えしてはいけないから

おなかをかたずけなさい」

と言ってもなかなか言うことを聞きません。

そこでカミナリ様というものを作りだし、

それをつかって子供にいいきかすのです。

「へそ出して寝ているとカミナリ様がきて、

へそ食われるぞ」

子供はびっくりしてお腹をかたずけるでしょう。

このカミナリ様とは、

子供に言うことをきかせる為の、

架空の生きものてす。

それを鵜呑みにしてしまえば、

カミナリ様という生きものがいて、

そいつの主食は

人間のへそだということになってしまいます。

地獄もこのカミナリ様とおなじです。

生きているうちに正しい生き方を

しなさいといってもなかなか出来ない。

そこで仮に死後に地獄というものをおいて

正しい生き方をうながすのです。

本当は地獄とは

正しいおこないのできない

その人の心の中にある世界です。

死後の世界のものではありません。

地獄を死後の世界にして

あなたを脅すやからの言葉に

耳を傾けないでください。

本当の地獄は孤独から始まります。

誰か、何かのせいにしたときに、地獄の道が始まってるかもしれませんね。
 
JUGEMテーマ:生き方


運命や偶然てあるの

ありません。

それらの言葉は 自分の責任から逃れるために、 もしくは自分の悲しみなどの感情から逃れるために 使われる言葉です。

仏教には縁起という考え方があります。
縁起という言葉の本来の意味は、縁があるから起こるという意です。
世の中に起こる全ての出来事には 原因があります。
過ちの原因を追求すれば、次の行動のヒントになりますよね。

事故も ケンカも 笑うも 泣くも、 全てそれを生み出した 原因があるのです。
その原因を追求し 反省して 将来にむかって生きることができれば、自己の成長につながりますよね。

その原因を追求させない、 あきらめの言葉が 運命や偶然という言葉です。
もしもこの言葉を使う教えが あなたの前にあらわれたら、 すくなくとも その教えは仏教ではないと思って下さい。    

色々な宗教が 自由という言葉を売り物にしています。
しかし自由という言葉の 本当の意味は、 自分の行動を 自分の考えで行い、 その結果に対して 自分で責任がとれるということです。

自分の人生の主人公は自分です。
他人の人生の主人公を取り上げることは誰も出来ません。
自分以外の人の主人公には誰もなれないんです。
自分の人生の主人公を他のものに渡すことは、苦しみの始まりです。

自分の人生の主人公を運命や偶然という形のないものに渡してしまわないで下さい。

運命や偶然と言う言葉は、 自由を否定します。
あなたの人生は わけも分からない形のない不思議なものに レールを引かれているのでしようか。    

あなたの失敗をごまかすには 都合の良い言葉かもしれませんが、 その言葉を信じている人は、 自分の行動に責任がもてない、 自由を捨てた人なのです。

運命や偶然と言う言葉から 自己を取り戻して下さい。


目の前の自分に都合の悪い出来事を他のものせいにすれば、その時は逃れられたような気になれるかもしれません。
でも、そう思ってるのは自分だけなんです。

人のせいにした時に、不幸が始まります。


JUGEMテーマ:運命を信じますか?


空ってなにが空なの

   開き直りの言葉ではありません。

「どうせこの世は空だから・・」
なんてのは諦めをナットクさせるための言葉ですよね。

 
この世や私なんて所詮ないに等しい・・・
そんなことないですよね。ちゃんと存在してます。

 
人は比べることによって過ちを犯しやすいです。
優越感や劣等感は比べることで起こってくる感情ですよね。
 
比べるためにはモノサシが必要です。
そのモノサシがガンコで強固であればあるほど、
優越感や劣等感はガンコで強固なものになります。
 
それだけではありません。
相手の気持ちや相手の思いまでが見えなくなってしまう恐れもあります。
 
そのモノサシが空なのです。
無いものにしがみついて、あるものを失っていくのが優越感や劣等感なのではないでしょうか。

 
しがみついているものはあなたにとって必要なものなのですか?


何が違うかを探すのではなく、どこなら共有できるかを探せるといいですね。

 
JUGEMテーマ:人間関係


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