神ってなあに2

春秋戦国時代

人を人とも思わず、騙し、裏切り、戦いあい、覇権を争った時代。

そんなときに、人と人との付き合い、主君と部下、主国と属国、人間関係のルール作りを考え、正常な平和を求めようとして儒教のような考え方が生まれたのは正常な願いですね。

 

 

インドの雨季と乾季がはっきりした、今日話しをしていた隣の人が次の日に病気にかかって死んだり、さっき遊んでいた人がトラやコブラにやられて死んでしまう。

生まれてきても、その命があっけなくなくなってしまうことが日常の風景である、過酷な自然環境。

そんななかで生きるってどういうことだ。死んだらどうなるんだ。

生きる目的を求めて、仏教のような考え方が生まれたのも正常な願いですね。

 

 

日本のように温かい春があり、暑い夏があり、収穫の秋、凍える冬がある。

海に近づけば海の自然。

山に行けは山の自然。

谷が違うだけで冬の雪の降り方や、夏の太陽の当たり方が違う。

地域地域で自然環境がいくつもあるところでは、自然の予兆もいくつもあります。

八百万神が生まれるのも、正常な願いですね。

自然環境が豊富なところでは多神教は正常なことです。

 

 

シリア高原のど真ん中、砂漠と星しかない。

雨もないに等しく、部族同士の闘い略奪の生活。

砂漠が嵐で荒れ出せば身を守るものは全て吹き飛ばされる。

過酷な環境のなか、夜になれば見渡す限り毎日変わらない星空。

この世を作った神は一人しかいないと考えるのは正常な願いですね。

 

生活の中に教えは生まれます。

それは押し付けられるものではありません。

自分の人生の主人公は自分だけなのです。

教えは人の言葉として伝わってきます。

「信」

は人べんに言なんです。

神を信じてるのではなく、

あなたが信じた人の言葉

「神がいます」

という言葉を信じてるんです。

 

信じる前に疑ってください。

疑って、疑って、疑いきっても疑えない言葉を、自分の言葉としてください。

 

 

信じなさいという言葉が、疑うことをやめなさいという意味であるならば、自分の言葉にはなりませんし、疑えないそのものに、自分の人生の主人公を明け渡してしまうことでしょう。

 

 

 

あなたの人生の主人公はあなたなんです。

 

JUGEMテーマ:宗教



神ってなあに

日本の神は 二種類のものが一緒になって あつかわれています。

 

GODを日本語になおせば神になってしまいますが、

福沢諭吉は、

これより上のない帝王という意味で、

上帝と訳しました。

 

ここで大事なことは、 導く存在であって、 束縛する存在、もしくは欲望をかなえてくれる存在ではないということです。

 

もうひとつの神、

つまり日本の神はどうかといえば、 これも欲望はかなえてくれません。

日本の神は

地震、 カミナリ、 火事、 台風 その他もろもろの自然現象です。

 

大漁を願うのは、

海よ荒れないでくれという願いであり、

豊作を願うのは、

日照りや長雨がつづかないでくれという願いなのです。

 

日本の神は 自然界の現象の実像化以外の なにものでもありません。

あくまでもその対象は 自然現象なのです。

つまり現在でいえば 気象庁のやくめを果たしていたのです。

 

「明」

は月や陽の光、つまりはっきり見えるということです。

「神」

はカミナリの光、つまり暗闇の中でちらっと見えるということです。

生活に密着した、見間違いを起こせば死につながる、自然界の小さな予兆が神なのです。

 

つまりこの神も 個人の欲望をかなえてくれる存在ではないのです。

あなたの人生において 都合のいい欲望をかなえてくれる神様、

 

 

もしくは人生を束縛するような神様など、

そんなものは太古から存在しません。

束縛するのは人の言葉です。

 

 

JUGEMテーマ:宗教



幽霊っているの

いません。

 

あなたの心の中の恐怖や悲しみ、 苦しみを他のものにおしつけたい表現の一つが、

幽霊です。   

 

たとえば、

夜中になにか物音がしたとか、

白い影が見えたとか、

そのようなことがあったとします。

 

それはあくまで現象です。

その現象があなたの心の中にはたらきを促し、

それが心の中から出て示すのが 祟り(たたり)です。

 

祟りという字は出て示すと書くのです。   

あなたは幽霊を見たことがありますか。

知っている人が見たというのでは 話になりません。

見たという人も、 冷静に考えて下さい。

その時の気持ち次第で 何にでも見えたのではないですか。

 

きつねつきなども、

いまでは多重人格、

もしくは自己催眠という病名が はっきりと出てきます。

 

恐怖の表現が幽霊なのです。

幽霊は それを信じている人の心の中でしか 存在しません。

心の中の恐怖や 情念がそれを作り出すのです。   

 

それより恐いのは、

その心の中にいる幽霊で 金儲けを企んでいるやからが、

多く存在するということです。

 

幽霊を肯定する人。

それはよっぽど思い込みがはげしいか 詐欺師かどちらかです。

あなたの恐怖という感情を 死んだ人のせいにしないで下さい。

 

死んだ人が迷っているんじゃない。

そう思っているあなたの心が 迷っているのです。

じぶんの迷いを他のもののせいにして逃げないでください。

 

 

今しゃべったのはだれだい?

 

 

・・おまえかい!

 

 

JUGEMテーマ:見えない世界の真実



供養ってなあに 法事ってなんのためにするの

法事は死んだ人の為にするものではないし、 そんな事を目的にするとしたら、 その法事はまったく意味がなく、 する必要はありません。    

 

「法事の目的はなんですか」

とたずねると、 たいてい供養という言葉が返ってきます。

ところがその供養という言葉は、 とんでもない意味で 使われている場合がめだちます。

「死んだ人が化けて出てきて 悪さをすると嫌なので、 たまにお経をあげて お供え物をすれば、 しばらくは化けて出てこないだろう」

と。

 

こんなひどいことは考えたことがないと 思われた人もいるでしよう。

でも、供養と言うものは、 生きている者が死んだ人に してやるものだという 思いがありませんか。

それが間違いです。    

 

あなたの亡くなった大切な人を 思い出して下さい。

その方はあなたに金にならない多くの財産を、

命懸けでのこしてくれませんでしたか。

 

それは教えという名の財産です。

例えば、交通事故で亡くなった方は、

交通事故の恐ろしさを文字どうり 命懸けでおしえてくれたのです。

「おい交通事故とは恐ろしいぞ。 残された者は、交通事故に気を付けろよ」

と。

 

戦争で亡くなった方も

「戦争とはこんなに恐ろしいものだ。 わしらは殺されてしまった。 わしらだけでない。あの戦争がなかったら、 いまの世にもっと多くの子供たちの声が聞けただろう。 そんな子供たちが生まれる可能性を みんな殺してしまったのがあの戦争だ」

と、 命懸けの叫びがそこにあるはずです。

 

教えで分かりにくかったら思い出でもいいです。

命懸けの思い出。

それは、あなたが生きていくために 大切なもののはずです。

あなたの人生のみちしるべとなるものです。

 

しかし、亡くなった人の思い出は楽しい思い出だけとは限りません。

それは反面教師も含まれます。

あなたの嫌いな亡くなった人は、

「こんな事したら、嫌われるよ」

と 教えてくれたのかもしれませんね。

 

供養とは、その教えに対して

「有難うございます」

という意味です。    

 

何故、そんな涙を流した。

なんで、そんな葬式をした。

何故、そんな法事をする。

その人が、死んだからです。

その人が、生きていたら そんなものは一つもなかったのです。

してやってたんじゃない。 じつは、命懸けで 流さしてくださった涙ではないですか。

命懸けであたえて下さった 法事の場ではないですか。

じつは命懸けでさせてもらった場が、 法事なのです。

亡くなった大切な方を 思い出して下さい。

 

そこに教えという、 あなたにとっての人生の 宝が限りなく見えてくると思いますよ。

 

 

 

思い出はかけがいのない道しるべです。

一生、安らかに眠らせないでください。

 

 

JUGEMテーマ:仏教



仏ってなあに

仏という言葉は、 間違った意味で使われる場合のほうが多く聞かれます。

 

一番多いのは、死体にむかって

「ほとけさん」

と言うことではないでしょうか。

それは、ただの亡骸です。

死体が仏ではないのです。

 

死んだら仏になるというのはそんな意味ではないのです。    

 

つぎの間違いは、

「神や仏も無いものか」

という仏です。

それは、あなたの欲望を満たしてくれる 神も仏もいなかったというだけのことです。

そんなあなたにとって都合のいい神も仏もこの世には存在しません。

 

つぎは、葬式の弔辞などでよく聞かれる 間違いの仏です。

「成仏してくれよ。 やすらかにねむれ。 冥福をいのる」

成仏してくれとは、 仏に成ってくれと言う事です。

人間が死んだ人を 仏にしたりさせなかったりすることが できると思いますか。

かりにできたとするならばその仏は人間以下の仏です。

 

人間が人間の力で 死んだ人を仏にする事が出来る人など、 この世には存在しません。

もしそんなことを本気で言われる方が あなたの前に現われたら、 その人はよっぽど思い込みがはげしいか、 詐欺師かどちらかです。

 

やすらかにねむれや、 冥福をいのるのも、 そう思うのはその人の勝手です。

でも誰かその人がやすらかになった姿を 確認した人がいますか。

冥福な姿を確認した人がいますか。

誰も見たことがないのです。

 

もう一つあります。

友引の日に葬式をすると知り合いを殺したり、 葬式のあとに 塩で身をきよめなければならない相手。

たたったり、 悪さをする相手。

これはもう論外です。

 

仏ではなく、 鬼か悪魔と言ったほうが合っています。

あなたの、亡くなった大切な方々は、 鬼か悪魔ですか。

そんなことはないはずです。    

 

仏とは、教えです。

思い出です。

あなたの本当の姿をうつす鏡です。

己れの心の中を みつめなおさせるものが仏です。

「わたしは死んだ人を縁として 己れの心の中をみつめなおさせていただきます」

その宣言が忌中です。

だから忌中とは己、心、中と書くのです。

 

たとえば

「あんな死にかたをして あの人は迷っているんじゃないか」

といったものの言い方を する人がいるとします。

死んだ人が迷っているんじゃない、 そう思っているその人の心の中が 迷っているのです。

 

あなたの苦しみ、 迷いを 死んだ人に押しつけないでください。

ごまかさないで生きてください。

あなたは、限りなく多くの御縁によって生きています。

その御縁すべてが仏なのです。

死んだから仏じゃない。   

なにかの条件を満たしたから 仏になるんじゃない。    

 

 

DSC_0973.jpg

 

 

あなたにとって仏ですか。

これだけです。

 

 

 

JUGEMテーマ:仏教



信仰ってなあに

たいていの場合が思い込みです。

 

別の言い方をすれば、 思い込みでしか成立しない わけの分からない宗教が多いということです。    

 

祈ったり、 お金をだしたりして 願いがかなう、 もしくは 死後に良いところに往ける などといった考え方は まさしくこれに当てはまります。

 

そう信じた人の心の中でしか 成立しません。

このような教えは、

その教えに対する疑問も許してはくれません。

「おまえの信仰が足らないのだ」

とか

「その疑いの心が最大の悪なのだ」

などと言って、 思い込みを強めさせます。

 

そして考えることを 止めさせるのです。

 

そうなってしまえば、 その人は自己を完全に見失っています。

これをマインドコントロールと言うのです。    

 

これは、

「他の者よりも幸せになりたい」

とか

「他の者よりもすぐれた能力を持ちたい」

と言う人間の欲が生み出した結果です。

 

他の者と比べることでしか 生きる価値を見いだせない人は、 遅かれ早かれ その様な詐欺集団に だまされる可能性があります。

 

他人や他のもののせいにして責任逃避したがる人などは、 典型的な例です。

運命や偶然、神秘的な力みたいな非現実的なもののせいにしたり、占いや呪い、おふだなとにたよったりする人のことです。

自分の人生なのに、自分で決めることを放棄してしまってます。

 

本当の信仰は、 自己を振り返ることが出来るものです。

他と自分を比べる事を止め、 他の者よりも良くなりたいと思ってしまう 欲のかたまりである 自分を見つめなおす事、

自己反省をうながす事が 信仰なのです。     

 

信仰は 思い込みでは有りません。

自己を振り返る事です。

 

 

 

人生の主人公は自分しかいないんです。

主人公を放棄するのは自己を失うことです。

 



宗教ってなあに

あなたにとってかなめの教えのことです。

 

それは、宗教法人法に適用されているか、いないかは 関係ありません。

あなたの人生にとって 一番たいせつな教えがあなたの宗教です。

 

宗という字を辞書で引くと

「おおもと、かなめ」

と出てきます。

それが宗教です。    

 

いま、色々の新興宗教や、 倫理団体が、 家の宗教と両立できる、とか

もしくは 我々は宗教団体ではないといって 勧誘をすすめていますが、

かなめの教えが その人にとって 二つも三つもあるはずがないのです。

 

かなめの教えが 二つあれば それは両立などありえないのです。

あなたが 自分にとってすばらしいと思われる 教えがあるならば、 他の教えをすてて下さい。

 

それは宗教法人法に適用されているかいないかは、 まったく関係ありません。    

 

ただし、宗教は 生きていく為の教えでなければなりません。

自分の心の中を見つめなおすことが出来る教えでなければ 宗教の意味がありません。

 

どんなにきれいな言葉を使っていても、自分だけが正しいと思ってしまえば自分を見失なってしまいます。

自分の自由と責任を見失ってしまう。

自分の罪の意識をないものにしてしまう。

自分がされたら耐えられないことを他人に平気でしてしまうようなことを正当化してしまう。

こんな教えをかなめとしてしまえば、自分がなくなってしまうだけです。

自分を偽るために利用するようなものは、自分を孤独におとしめるだけです。

 

 倫理道徳感を高めて、 じぶんが他の者より すぐれているといった 勘違いを勧めている教えは 聞くに値しません。

かぎられた条件の者だけが 死後にすばらしいことがある なとどいったことを うりものにしている教えは 論外です。

 

気を付けて下さい。

 

自分を偽っている限り、安らぎの心はありませんね。

 

 

春は冬をこえてやってきてくれます。

 

 

JUGEMテーマ:宗教



輪廻ってあるの

生きとし生けるものには全て命の限りがあります。

 

その命は次の命に続きます。

 

植物性プランクトンは動物性プランクトンに食べられ、

そのプランクトンは小魚に食べられ、

小魚は大きな魚に食べられ、

その魚の死骸によって、プランクトンが繁殖します。

 

輪廻は死んだ後に生まれ変わるなどと言う 思い込みのものではありません。

 

自然のいとなみです。

自然の厳しい現実です。

目に見えるものです。

 

私たちは多くの命を殺して、生きているのです。

当たり前ではなく、 罪を浄化する方法もありません。

 

でも、感謝することは出来ます。

「いただきます」

「ごちそうさま」

命への感謝です。

 

当たり前のことが当たり前ではなく、 多くの命によって、生かされているのが私たちです。

 

輪廻と言う言葉は、人生の逃げ言葉ではありません。

私たちが多くの命によって生かされている現実を見つめる言葉です。

 

 

冬が過ぎたら春がやってきます。

 

JUGEMテーマ:仏教

 



宿業ってなあに、逃げれないものなの

命あるものとして存在すれば、 その命にかかわった多くの命が存在しました。

父母がいなければ、子供は存在しません。

 

父母にも、それぞれ父母がいます。

その親にも親が存在しました。

たった30代前で、10億人以上の人が関わっているのです。

その一人でも欠けたら、あなたは存在しないのです。

 

あなたの命が存在するために、多くの命が存在したのです。

 

仏教で言う宿業を前世の業とする人がいます。

生まれ変わりとか、輪廻とか呼ばれているものです。

 

それは思い込みでしか成立しないものです。

全ての責任を押し付けるには都合のいい言葉かも知れません。

「業が深いから。」

とか、

「前世の悪業のせいだ。」

とか、

自分の置かれた現実から逃避するには都合がいいでしょう。

この前世と言う逃げ道が全ての関わりを否定してしまうのです。

 

ものごとには全て原因があります。

その原因から逃げ出している限り、なにも解決しません。

 

宿業とは、自分の命に関わった全ての命のことです。

命だけではなく 性格や考え方、生き方など、いろいろな影響を受けてあなたの今があるのです。

 

そしてその宿業はあきらめの為のものではありません。

悪いものであれば、未来に向かっての反省材料であり、 良いものは、未来への財産となるものです。

 

たとえば、あなたが父母や祖父母の争いを見て、悲しい思いをしたとします。

ならば、あなたの子供にはその悲しみを与えないでほしい。

同じくりかえしをどこで止めるのですか?

 

悲しい財産は相続させないでください。

あなたで止めて下さい。

 

 

季節は忘れずに変わってくれますね。

 

JUGEMテーマ:人間関係



亡くなった人とはもう会えないの

あなたにとって亡くなった大切な人は あなたの心の中で生きています。

 

その思い出は あなたの涙の中にだけ存在します。

その涙から逃げない限りいつでも出会えます。

 

困ったとき、疑問を持った時、 その涙の中に生きている大切な人に聞いてみてください。

でも、 大切な人からの答えはいつも同じです。

 

それは

「俺の前でまで、自分にウソをつくなよ」

です。

 

自分が悪かったのに

「ごめんなさい」

って言えない自分。

自分が助かったのに

「ありがとう」

ってって言えない自分。

そんなウソをつく必要がない相手。

必要がないというよりも、ウソをつけない相手 それがあなたの涙の中に生きている大切な人なのです。

 

 

自分を見つめさせてくれる、 あなたにとって大切な方 その方があなたの涙の中に生きています。

 

 

 



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