自己愛性パーソナリティー障害

「うらまやしく思う」ってことは誰にでもおこる感情ですよね。

それが夢や目標になれば、成長や発展につながることもあります。

もちろんそのためには努力が必要になります。

 

もし、「うらやましさ」が「ねたみ」になってしまえば、何も生み出さないだけでなく失うものまで出てきます。

羨望という言葉があります。

「せんぼう」

と読みます。

うらやましくおもう。

比べることによって生まれる感情です。

 

心理学では良性の羨望と悪性の羨望という分け方をするそうです。

 

目標になるような「あこがれ」ならばいいのですが、そうでない場合もあります。

自分が持たないものを相手が持ってるとき、もしくは相手より自分が劣ってると思いこむときに起こる感情がヤバいのです。

 

地位や技術、業績、財産、などなど、自分よりも優れたものを持った他者が現れたときに、羨望の眼差しになりますよね。

 

それが私もほしい。

羨望が努力によって成長に繋がる場合もあります。

 

そうはならない場合があるんです。

相手だけが特別扱いされいて、自分にないのはおかしい。

相手がそれらのものを全て失うことだけを願う。

こうなればヤバい道まっしぐらです。

 

「他人の幸福が我慢できない」

 

こうなれば自己愛性パーソナリティー障害の可能性大です。

相手の立場を破壊するためによく使われる言葉が「平等」です。

もとめているのは自分が中心の特別扱いです。

 

今の自分を認めることができなく、わたしは本当はすごいんだ。特別なんだと思い込み、攻撃的になっていき社会性を失っていきます。

 

自分の業績や立場の誇張。

必要以上に背伸びをして、地位や立場、人間関係をアピールしたがる。

これだけしてやったんだという、相手に対する愛の押し売り。

自分が特別な存在であり、それを認めない周りをバカにしたり、軽視したりする。

まわりの人が自分を尊敬し愛することが当然だと思い、そうならない原因である自己中心的な行動を理解も反省もしようとしない。

自分が成功するために、まわりの人は利用するだけの存在であり、利用することが愛情だと思いこんでいる。

相手が苦しみ悲しみを見せたときには、自分が有利になったとしか感じられない。

他人を嫉妬することか日常的。

相手が自分に注意してきたら、自分の人間性を攻撃してきてると思い込む。

 

言葉だけはきれいな言葉を選んで自己主張しますから、なかなか表に出にくい障害です。

相手が自分のことをどう思ってるかということに過剰に敏感になり、自分のことが話題になっていると悪口を言ってるとしか思えなくなります。

 

現実のような空想で物事を言い出すことも多いです。

相手が悪で自分が正義の味方というアピールが半端ないです。

劣等感は相手のせいにしますから、ありもしない被害者妄想で自分を正当化します。

説明しだすときには、相手の悪いことを並べ立て、自分の不都合なことは隠し通します。

相手がやったら許せない行為も、自分がやることは問題にしません。問題にされたら他のもののせいにして正当化します。

嘘をついてでも自分を正当化します。

嘘と思ってないからヤバいんですけどね。

 

 

主語が相手になったり、自分がわからないほど広がったり、話がでかくなるのもこの障害の特徴です。

あなたのためって言葉が一番使われますが、世間が、一般的に、国民が、地球人が、なんて主語も使われやすいですね。

自分がありませんから自己反省なんてできません。

被害者妄想が激しい場合は罪の意識もありません。

言い訳は恐ろしいほど自分以外の者のせいにします。

 

世界平和や平等をいいながら、友達関係や家庭環境がグチャグチャだったり、

愛してると言いながら、すべてを束縛して独裁欲のはけ口にしかしない。

 

拒否されたり否定されたときには、自尊心が傷つけられたと思い込み攻撃的になります。

自分の価値観にあう行動を求めようとしてますし、その価値観も非現実的ですから無理なんですね。

コンプレックスがプライドになってますから、自尊心も崩れやすいんですけどね。

 

治療方法はあるようですが、まず自分が病気であると認めないと治療にもなりませんよね。

でも、病気を責任逃れの言い訳に使いだしたら、治療もクソもありませんがな。

 

比べることで幸せはおとずれません。

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イチャモンと批判はちがいます

個人でも団体でも似たようなもんなんですけど、相手の思想や行動を批判するときには、相手についてのある程度の知識が必要になります。

相手の説明に対して反論したときに、相手が言葉に詰まって答えられなくなるのならいいんですけど、開いた口がふさがらないぐらいあきれ返られたら恥ずかしいですよね。

あきれ返っているのに

「相手は言葉を失うほど動揺した」

なんて見え張ったって騙せるのは自分の心だけです。

誰も相手はしてくれません。

 

批判にも、できるものとできないものがあります。

できないものをできるかのように批判したってムリなものはむりなんです。

 

「もともとあったもの。」

 

歴史とか史実なんかの過去の出来事とか、通説なんかがこれにあたります。

過去のものなんですね。

過去は未来への反省材料にはなります。

でも、過去は変えることができません。

そのものの存在を否定するような真似をしても不可能なものは不可能なんですね。

1000年も2000年も前のことを現在まで引きずって、子孫のせいにして差別や戦争している方々なんて、まさにこれです。

 

「もうすぐ実行しそうなこと」

 

実行しそうなことは実行できてないんですね。

実行するかしないかを決定するのが今なんですね。

過去は反省の材料です。

過去の失敗を未来に繰り返さないために、現在を選択しないとダメなんですね。

先送りの連続で未来に託すなんて逃げ方が流行ってますが、ほっといて状況がよくなることはほとんどないです。

状況は悪くなるばかりですね。

 

「できそうもないのにできるかのようにしてしまう、想像でしかありえないこと。」

 

現状からよっぽど飛躍しないと実現しそうもないことを、未来に必ず実現するかのような屁理屈を言い、現状を破壊しようとする。

批判が目的の人って、感情的になることをごまかすためにこれをやりたがるんですよね。

自分たちの行動や、場合によっては共通する目的までなかったことにしてでも、過去や現在、未来までを否定して、批判だけをする。

どんなふうに飛躍したらそれが現実化するんだなんて質問は認めてくれません。

疑問を持つことを否定してきます。

素直になれとか、正しいものの邪魔をする気かとか、体制を恐れるものは去れとか。

事実からかけ離れた説明であっても、言論の自由という言葉で解決させてしまう荒業もあるみたいです。

 

この方々の論理は、正しいものを実現するためには正しくない行動は許されるそうです。

考えることの否定ですから、洗脳に近いですね。

できもしない理想を実現できるかのように説明しても、評論家には責任がないんですね。

でも、批判が心地よいと思う人が増えたら、立場がひっくり返ることもあるんですわ。

できもしない批判が、実現できるような立場になってしまったらさあ大変。

 

言い訳が待ってます。

発言自体をなかったようにしてしまう作業にいそしむか、

できないことを相手や過去のせいにしたり、最悪の現状をよっぽどましなものだと思わせるなどのテクニックが必要ですね。

 

自分の意見や希望を説明するときに、未来に対する不安をあおる人たちがこれをやりがちですね。

たいていが

「さもないと・・」

って言葉が入ります。

 

団体に埋もれて、自分がなくなってしまう人たちのことです。

我々は、一般的に、世間は、国民は、なんて主語でしゃべってますわ。

もはや願いじゃなく脅しなんですわ。

 

なにせ自分たちが一番正しくて、反論するものは敵であって悪なんですね。

自分にされたら鬼のように怒りだすくせに、他人には同じことが平気でできる人のことです。

 

こんなことが平気でできるのは正常ではないんですけど、ざらにいます。

人でもいますし、団体でもいますし、国でもあります。

相手には何をしてでも許されると信じてます。

 

 

 

大抵が自分にしか通用しない、正当化するための正義感か被害者意識を作ってますけどね。

そういう方々には反論しても精神的に大けがするだけです。近寄りたくないものですわ。

問題は頼んでもないのに向こうから近寄ってくる場合です。話す気もないんだ。こないでくれ。

 

 

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リスキーシフト

後悔先に立たず。
とんでもないことになってしまってから反省しても手遅れなんですね。

とんでもないことになってしまう時って自分を見失っていることが多いんですね。
冷静な時に冷静に考えればそんな行動することがないのに、なぜにそんな行動をしてしまったのか。
そんなつもりはなかったなんて言い訳は、自分の心をごまかすぐらいにしかなりません。

リスキーシフトって社会心理学の言葉があります。
行動が悪いほうに悪いほうに向いていく状況には理由があるってんですね。
いつもならルールを守って社会性のある行動をとるような人が、集団の中では周りに流されたり意地を張ったりして、普段ならばやらないような行動をとることがあるってんですね。

相手のほうが正しいと理解しても、それを認めたら自分の立場がなくなる。
相手が苦しんでると理解しても、ここでやめたら相手になめられてしまう。
相手が危機的状況になっていると理解しても、ここでやめたら示しがつかない。
引くに引けなくなるって状況です。
どうなってもいいなんて思ってる時に起こした行動のことです。

とくに相手が自分より格下であると勘違いした相手、もしくはそう思いこみたい相手に対して起こりやすい状況です。

差別意識、犠牲者妄想、被害者妄想。
これらがリスキーシフトを起こしてしまいます。

わかりやすい言葉で言えば
あたりまえ。
してやってるのに。
なんで私だけこんな目にあわないといげないんや。
ってことです。


集団の中で人の目だけを気にして、自分を見失ったときに行動がリスキーなほうに行ってしまうってんですね。
怒り、嫉み、妬みに侵されたままで物事を決めた時にはたいていが悪いほうに向いてます。

怒りに任せて。
まわりの見る目を気にして。
自分が特別な存在だと思いながら。

こんな心で決断すれば、間違いなくリスキーな方向にむいてしまってます。
リスキーってのはまわりにとっても迷惑だけでなく、決断した本人にとってもリスキーなんです。

みんながやってたから。
そんなつもりはなかった。
わるぎはなかった。
なぜそんなことをしてしまったかわからない。

なにを言っても誤魔化せるのは自分の心だけです。

意識してるほど誰も見てないし、立場なんてないんですわ。
形がないんです。
でも、目の前で苦しんでいる人の命は間違いなくあるんです。

人は群れないと生きることができない動物です。
でも、群れは個の集まりなんです。
その個は一つ一つが大切な命なんですね。


 
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超自然現象って存在するの

世の中にはあるかないかよくわからんものがあります。
超能力、霊的現象、神話、逸話、言伝え、未確認飛行物体、 などなど、 現代の科学で証明されていないものです。

これらの事が、いる。
もしくはいない。
ある。ない。
そんなことは、書くつもりも、 否定するつもりもありません。

これらのモノはあるかないかも、証明されていません。
そんなことより怖いのは、 現代のトップ科学でも証明できないそれらのものを あたかも分かったかのように 説明する人たちがいることです。

ほんの一昔前は、 地震や台風、津波なども、 超自然現象でした。
しかし、それらのメカニズムは いま証明されて、自然現象となったのです。

あることの証明はなんとかなることもあります。
ないことの証明はかなり難しいです。
奇跡的に起こったような特殊例を上げて、それをさも普通にあるように言ってくるような人にどんなに理論的にないことを証明しても無駄になることが多いです。
自分の信じる現象を否定する、証明済みの事でもウソ扱いをするだけです。
話を大きくしてでも次から次から別の特殊例を上げてくるだけです。

証明されてないことをあると断言したがる人は、 思い込みの激しい人です。
論議を感情で返されたり同情論を押し込んでくればますます事実から遠ざかるだけです。
反論することだけが目的の方もいますしね。
そのような人の言葉に、耳を傾けないで下さい。
聞く耳のない人との論議はつかれるだけです。

夢は夢のままのほうが、 楽しいじゃないですか。

 
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幸福ってなあに不幸ってなあに

苦が少かったり多かったりすることではありません。
他人が決めることでもありません。
祈ったり拝んだりして、得られるものでも、なくなるものでもありません。

幸福も、不幸も、自分の生きている証であり、 自分だけの感情です。
貴方の人生経験を、そのまま他人に与えても、 その人が同じ幸福感(不幸感)を持つことはありません。
それを感じる条件は、自分に関わっているかどうかで大きく違います。

外国で飛行機が落ちたとします。
まず、日本人が乗っていなかったか?
次に知り合いが乗っていないか?
どちらもなければ、
「良かったな。」
ということになります。

でも、自分にとって大切な人が乗っていれば、
「何で私だけこんな目にあわなければならないんだ。」
と、なるでしょう。

でも、飛行機が落ちた時点で、搭乗者の家族は全て同じ目にあっていたのです。
自分にかかわりがなかっただけなのです。
それだけではなく、大切な人が落ちた飛行機に乗っていたという経験は共通しても、 それに対する苦しみの感情は、全ての人が違うものです。

「なんで私だけがこんな目に会わなければならない。」
ではなく、 私だからこんな目にあったのです。

幸福も不幸も、自分が感じる感情です。
自分が生きている証です。

他の人に与えられないし、自分が逃げることも出来ません。
他人にできるのは、形あるものだけです。
心の中までは手も足も出ません。
そう思ってほしいと願うことだけです。


逃げないで下さい。
溺れないで下さい。

それが貴方なのですから。



今年も変わらずに暮れようとしています。
去年と違うのは心の持ちようだけです。
 
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正義の味方に気をつけろ

あなたはいい加減な人とまじめな人とでは、どっちが好きですか。

もちろん時間にルーズな人や約束を守らない人ってサイテーですよね。
でも、真面目も度が過ぎるとたまりませんよね。
クソがつくほど真面目な人といっしょにいると疲れますよね。

サイテーとか、疲れるとかいうぐらいの相手なら被害もしれてますが、近づくこともキケンな奴もいますよね。
自分が正しいと信じきってる奴らのことです。

正しいヤツは正しくない相手を作りたがります。
正しいヤツは正しくない相手を格下と思いたがります。
正しヤツは正しくない相手に何をしても許されると思い込みます。
正しいヤツは正しくない相手から、自分がしたことと同じことをされたら、信じられないほどの攻撃をしてきます。
正しいヤツは正しくない相手がどんなに苦しんでも気になりません。

正しいヤツは話し合うことが大切だとか言いながら、自分の意見を相手に聞くことを強制してきます。
しかし正しくない相手の意見を聞くことはありません。
仮に聞いたとしてもそれは反論するための材料集めのためでしか聞いていません。

言い争いすることは、心がしんどいものですよね。
できればしたくないものです。
これ以上言ったら相手を傷つけてしまう。
正しくない相手が思いやりを持って言い合いをやめたとしても、正しいヤツには通用しません。
「勝った」
としか思いません。
正しいヤツは正しくない相手とは勝ち負けでしか関係をもてません。

でも、正しいヤツには反省に繋がる負けはないんですけどね。
正しいヤツは反省したがりません。
反省させようとしても、正しくない相手に対する恨みを蓄積するだけです。

正しいヤツは正しくない相手に対して鬼にでも悪魔にでもなれます。
全部自分の責任ではないんですから。
正義のせいにできるっていう錯覚におちいってますからね。
悪魔のような攻撃も、相手の為を思ってというひん曲がった愛情に置き換えて解決した気になれます。
正義は争いを止める方法にはなりません。
正しいヤツが行う悪魔の行為は、しがみついている正義によってゆるされていると信じています。

○○の為に
○○に入る言葉が美しければ美しいほど、正しいヤツは正しくな相手に対して残虐になれます。
そこには自分がいませんから。
人の為って書いて「偽り」っ読みます。

為と言いつつ、現実には言い訳の理由にしてるんですね。
その行為が、自分が信じている正義の信用性を貶めているなんてことは気にもしていません。

正しいヤツは主語がタイソウになっていきます。
一般、世間、国民、世界・・・地球や宇宙まで出てきます。
選ばれてもいないのに、代表者になってくれてます。
これって、主語が他人事になって自分が見えなくなってるだけなんですけどね。
なにせ正しい奴は、正義の奴隷になってしまってるんですもの。

正しいヤツにとってそれを正当化する正義は宝石なようなものです。
真実、信念、理念、地位、権威、象徴、世間体・・・
もっと具体的に書くと生々しくなりますわね。
宝石自体はなんの問題もないし、尊いものですわ。
どうにもならないのはその宝石に散りばめられた牢屋に入ってしまっているヤツの問題なんです。

その牢屋は正しいヤツにとって居心地の良い場所です。
牢屋の入り口は中からはいつでも開きます。
正しいヤツは牢屋の中からはいつでも出ることが出来ます。
でも、この牢屋は外からは開けることが出来ないんです。
牢屋から出るか出ないかの決定権は囚人側にあるんです。

外の人間は、中のヤツに声はかけることが出来ます。
でも、正しい宝石の牢屋の囚人は、それを聞こうとはしないんです。
なにせ正義に囲まれた牢屋の中では、自分は世界一正しくて尊い独裁者になったと勘違いし続けられますからね。

正しいヤツには近づかないことが一番いいです。
どうしても近づかなければならない時は、一対一にならないことがいいです。
話を聞いているだけで了承したことにされてしまいますし、下手をすれば自分が言ってたということにされて相手の言い訳に使われてしまう恐れもあります。
正しいヤツは正しくない相手に対して被害者ヅラしてますからね。
正しいヤツは、どんどん孤独に落ちていきます。

質の悪い正義の味方にならないように注意しましょう。
誰もわたしの気持ちをわかってくれないと思った時にはヤバいです。



花は花だけで存在してるわけじゃありません。
色んなモノが関わって存在してるんです。
 
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経験ってなあに

先輩と呼ばれている方々は、 それなりの人生経験が豊富です。
 
そんな方の中で、 自分が経験したから他の者もしなければならないという論理で話される人がいます。
そんな方々が、他の人に 
 「何々しなければならない。」
と、命令する時の正当化する基準になるものが、 
「私は若い時にやらされた。だからおまえらもするべきだ。」 
 という事のようです。
 
つまりは自分の経験なんですね。
 
 経験は大切なものです。
そのこと自体は、なにも反論できません。 
 
 ただ、ちょっと考えてほしいことがあります。
 
その経験は、自分にとって楽しい思いでですか? 
もしくは、自分の人生にとって為になった経験ですか? 
あなたが若い時に、それを命令していた人がおられたと思いますが、 その人は、あなたにとって大切な(大好きな)人ですか? 
 
 これらの質問に全てYESなら良いんですけど、 
 もし、 
 思い出したくも無い。
 つらくてつらくて仕方が無かった。
 それを強制させていた人が嫌いであった。 
一つでも当てはまることはないですか。
 
その辛さは若い人に相続させないとダメなものなんですか。
何故に若い人に強制するのでしょう? 
 
それってお門違いの復讐でじゃないですか。 
 
あなたが若い時に、それをさせていた人が嫌いであったなら、 アナタが命令している人にとって、 あなたは嫌いな人です。 
当然ですよね。
 それは、それだけでは終りません。 
 その若い人が同じ立場になれば、 また、若い人に繰り返します。 
その若い人が、また次の人にもするでしょう。 
 
 その復讐の連鎖をどこで、止めますか? 
 
 経験は財産です。 
 自分にとってではなく、 相手にとって良いものは伝えなければなりません。 
悪いものは反面教師となります。 
 
でも、自分が見えなくなったら、攻撃の武器になってしまいます。
自分が正しいと思った時が一番危ないです。

正しい人は鬼にでも悪魔にでもなります。
自分を見つめて、自分の経験を武器にしないでください。


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プライドってなあに コンプレックスってなあに

「あのひとはプライド高い人だ」
とか
「プライドを傷つけられた」
とか、

プライドと言う言葉は
人間にとってなにか 大切なものの様に思われています。
しかし、実は、 プライドとコンプレックスは まるで同じものなのです。    

プライドもコンプレックスも、 自分と自分以外の者を比べることによって 生じる感情です。
他の人よりすぐれた能力を持ちたい。
自分は分別を持った知識人であると思われたい。
やさしい人間であると思われたい。

これらの思いは全て、 他の人の見る目を気にして生きている結果に 生まれてくる感情です。

人の見る目を気にして生きている人は、 自己を見失っています。
自分の主人公として生きる人生を放棄しているのです。

人生は短いものです。
その短い人生を、 他の人にどう思われるか などというくだらないことに 振り回されないでさい。
人に良く思われたいからとか、 悪く思われたくないとか  そんな人生は悲しすぎます。

人の心に左右されない 自己を取り戻して下さい。    

人生の基準は自己の心の中にあります。
あなたは自分一人で生きているんじゃない。
多くのものとかかわって、 生かされています。
他の人に埋没する自分ではなく。
人と共に生きている自分を見付けて下さい。    

いい事をしなければ人にみとめてもらえないとか、
これだけしなければあの人になにを言われるか分からないとか、
責任があるからしなくてはならないとか、
そんな生き方の基準は捨ててください。   


自分がしてあげたいからする。
喜んでいる姿が嬉しい。
素直に生きて下さい。

どんなにカッコイイ理由をつけようと、自分がされたら嫌なことを他人にやれば結果ははっきりします。
嫌いな人の真似をすれば、嫌われるのは当然の結果ですものね。


 
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話せばわかるの?

話せばわかるって、実行して失敗したことないですか。


言葉ってのは情報を伝える手段です。
同じ日本語で話し合っても話が通じないことがありますよね。

そんな時に出てくる言葉が
「あいつの気持ちがわからん」
「やっぱりあいつは変わってる」
といった、排除の言葉ですね。

本当に話し合ったのでしょうか。
たしかに話はしたのかもしれません。
でも、話しただけで 「聞く」ということをしなかった場合が多いのではないでしょうか。

聞いてもわかりあう事は難しいのに、 聞くことも止めてしまえば、分かるはずはありません。
もちろん反論のために聞いているのでは「聞く」事にはなりません。


もちろん相手を年齢や態度、イデオロギーなんかでイメージを固めてしまえば、 相手の言葉は聞こえてきません。
 


相手にとっても話すという行為は、聞いてくれる人がいなければ成立しません。
 


相手を認める気がなく、ただ批判したがる奴は、相手の言葉を聞く耳なんか持ちません。

聞く耳のないやつの周りからは、その人の吐く言葉を聞く人もいなくなり、批判する人だけになってしまいます。
 


そこには聞く人がだれもいない、攻撃的な言葉のやりとりだけが虚しく続くだけです。
 


勝ち負けでしか相手を判断できない人は、ここに陥りやすいです。
 


そんな人とは話をしても時間の無駄ですね。




いくら同じ原語をしゃべっても、相手が聞いてくれなければ あとは沈黙するしか方法はありませんものね。


犬族と猫族が仲が悪くても、

犬と猫まで喧嘩する義務はないですね。

 

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自分を欺くの?

「欺く」


って字は 


「それを欠く」


って書きます。
 




 つまり本当は有るものを無い事にしてしまうって事です。
  これを自分にしてしまえば苦しむのは自分です。




 自分が助かったのに、それを無い事にしてしまえば 出てくる言葉は 


「ありがとう」


ではなく 


「あたりまえや」


「自分でするつもりやったのに」 


 みたいな言葉になってしまいます。
 


 自分が悪かったのに、それを無い事にしてしまえば 出てくる言葉は 


「ごめんなさい」


ではなく 


「悪気はなかったんや」


「良かれと思ったんや」  


「みんながやってることや」


 みたいな言葉になってしまいます。 
 




 でも、それで満足させることが出来るのは それを無いものとした自分自身だけなんですね。


 欺いたのは自分の心だけです。


その場逃れを繰り返せば、あなたの周りからは間違いなく人の心が離れていきます。


 どんなにうまく欺いたつもりでも 傷は相手にも自分自身にも残ります。
 


 自分自身を欺き続ければ 自分が立ってる場所がなくなります。
他のせいにして欺こうとしても、誰も聞いてくれなくなります。


 失ったものを取り返すのは難しいです。

あなたが思うほど、相手は欺かれてはいません。


どんなに欺いても、欺けない相手がいますよ。
自分の中に。
 
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