昔々の、ワテが学生のころのお話でゴザンス。
ある晴れた春の出来事。
ポカポカとした陽気。
サラサラ流れる小川の堤防ぞいを歩いていますと、ランドセルを抱えた女の子三人組が、なにやらご相談。
「どーしたんだい?」
女の子は不穏な雰囲気。
いえいえ、ワテは怪しいオニーチャンじゃないんだよ。
えっ?、変態じゃないかって?
そっ、そんなことは・・・ないんだょ。
女の子のいわく、
「子猫が死んでるの」
よくみますと、、死んでからあんまり時間が経ってない子猫の死がいが落ちてるのです。交通事故にあったようなのですわ。
「かわいそーなの」
うーん、やさしいオジョーチャンたちだ。
「埋めてあげたいの」
みますと道の端に、ぽっかりと空いた穴。
オジョーチャンたちが頑張って穴を掘ったみたいですわ。
三人は子猫の死がいの前で何やら困った様子。
おおおおおお、そうか。この子たちは猫を穴に運ぶことをためらっているのね。
よーし、オニイチャンが運んであげよう。
ワテは子猫のしがいをつかんで穴の中に入れたのですわ。
オジョーチャンたちは土をかけて子猫を埋めて、手を合わせてお参りしたのですわ。
うーん、なんとやさしいオコチャマたちだ。
オジョーチャンたち、お参りをすませてワテを見つめますがな。
いやいや、お礼なんていらへんがな。
オジョーチャンいわく
「ねえねえ、なんで死体なんかさわれるの?」
「気持ち悪くない?」
「死体さわったオニーチャン、気持ち悪い!」
ひぇー、変態扱いですがな。
オニーチャンは下心たっぷりの変態じゃないんだよ。
・・・って、この場合の気持ち悪いのは下心の話じゃないですがな。
「オニーチャン、イャー!」
「イャー!」
三人は走って逃げて行きましたがな。
オジョーチャンたちの感覚では死体がけがれたもので、それをさわることをためらってたのね。
それをさわったワテにそのけがれが伝播したって解釈のようですわ。
オジョーチャんたち、死んだ子猫がかわいそうだからなんとかしたいって気持ちだけは大切にしてね。
死体自体のケガレってなんでしょうね。
血なんかが流れていれば、手が汚れたりしますよね。
これは
「きたない」
って意味ですね
もしも病気なんか持っていたらそれが遷るって恐れもないことはないです。
これは
「危険」
って意味ですね。
んでも、ケガレってそんな意味じゃないんですよね。
死に対する思いが、死体のそのものをケガレとして扱い、そのものを極度に恐がる。
そのケガレは自分に災いを起こすものってことにしちゃってるんですね。
しかもその死体のケガレにかかわった人もケガレの一部になっちゃうんですね。
そのケガレによって大切なものをいっぱい失っちゃうんですね。
死んだ子猫が可愛そう。埋めてあげたい。でもケガレが遷るからさわれない。
死んだ子猫を何とかしたいって気持ちをも停止させてしまうほどのものなんですね。
それだけじゃない、自分がしたいことを肩代わりしてくれた相手も、ケガレの対象にしちゃうんですね。
大切な人が死んだとき、その死体をケガレたものとしてしまえば、大切なものを失ってしまいます。
死んだ人が大切な人であればあるほど、ケガレは邪魔なものなんですわ。
大切な人にかかわったあとに塩をまいたり、その人が付いてこないように帰る道を変えたり、、ご飯に箸をちっくり刺して出したりするってことは、生きてる人には出来ないことですよね。
生きてる人にはできないことが、死んだ人には出来てしまうってのはおかしな話ですね。
妊婦さんがおなかに鏡をつけてお通夜に出るってのも、ひどい話ですね。
死んだ人が赤ちゃんに何をするというのでしょうか?
悪いことを死んだ人のせいにしてしまうことで、その人の大切な思いでこそがケガレてしまうんですね。
死んでも大切な人は心の中に生き続けてるんですね。
その思い出の中に生きている思いでを否定するような行為は、自分を苦しめるだけなんですね。
悲しみの中に生きている大切な思い出を、一生やすらかに眠らせないでください。
返事もしない、動いてもくれない、冷たい大切な人の死体は、しばらくすると燃やされてしまいます。
形がある残された大切な時間を、大切に過ごさないと後悔ばかりが残ってしまいますね。
死んだからって、愛情は何も変わるわけがないんですがな。
JUGEMテーマ:家庭
ある晴れた春の出来事。
ポカポカとした陽気。
サラサラ流れる小川の堤防ぞいを歩いていますと、ランドセルを抱えた女の子三人組が、なにやらご相談。
「どーしたんだい?」
女の子は不穏な雰囲気。
いえいえ、ワテは怪しいオニーチャンじゃないんだよ。
えっ?、変態じゃないかって?
そっ、そんなことは・・・ないんだょ。
女の子のいわく、
「子猫が死んでるの」
よくみますと、、死んでからあんまり時間が経ってない子猫の死がいが落ちてるのです。交通事故にあったようなのですわ。
「かわいそーなの」
うーん、やさしいオジョーチャンたちだ。
「埋めてあげたいの」
みますと道の端に、ぽっかりと空いた穴。
オジョーチャンたちが頑張って穴を掘ったみたいですわ。
三人は子猫の死がいの前で何やら困った様子。
おおおおおお、そうか。この子たちは猫を穴に運ぶことをためらっているのね。
よーし、オニイチャンが運んであげよう。
ワテは子猫のしがいをつかんで穴の中に入れたのですわ。
オジョーチャンたちは土をかけて子猫を埋めて、手を合わせてお参りしたのですわ。
うーん、なんとやさしいオコチャマたちだ。
オジョーチャンたち、お参りをすませてワテを見つめますがな。
いやいや、お礼なんていらへんがな。
オジョーチャンいわく
「ねえねえ、なんで死体なんかさわれるの?」
「気持ち悪くない?」
「死体さわったオニーチャン、気持ち悪い!」
ひぇー、変態扱いですがな。
オニーチャンは下心たっぷりの変態じゃないんだよ。
・・・って、この場合の気持ち悪いのは下心の話じゃないですがな。
「オニーチャン、イャー!」
「イャー!」
三人は走って逃げて行きましたがな。
オジョーチャンたちの感覚では死体がけがれたもので、それをさわることをためらってたのね。
それをさわったワテにそのけがれが伝播したって解釈のようですわ。
オジョーチャんたち、死んだ子猫がかわいそうだからなんとかしたいって気持ちだけは大切にしてね。
死体自体のケガレってなんでしょうね。
血なんかが流れていれば、手が汚れたりしますよね。
これは
「きたない」
って意味ですね
もしも病気なんか持っていたらそれが遷るって恐れもないことはないです。
これは
「危険」
って意味ですね。
んでも、ケガレってそんな意味じゃないんですよね。
死に対する思いが、死体のそのものをケガレとして扱い、そのものを極度に恐がる。
そのケガレは自分に災いを起こすものってことにしちゃってるんですね。
しかもその死体のケガレにかかわった人もケガレの一部になっちゃうんですね。
そのケガレによって大切なものをいっぱい失っちゃうんですね。
死んだ子猫が可愛そう。埋めてあげたい。でもケガレが遷るからさわれない。
死んだ子猫を何とかしたいって気持ちをも停止させてしまうほどのものなんですね。
それだけじゃない、自分がしたいことを肩代わりしてくれた相手も、ケガレの対象にしちゃうんですね。
大切な人が死んだとき、その死体をケガレたものとしてしまえば、大切なものを失ってしまいます。
死んだ人が大切な人であればあるほど、ケガレは邪魔なものなんですわ。
大切な人にかかわったあとに塩をまいたり、その人が付いてこないように帰る道を変えたり、、ご飯に箸をちっくり刺して出したりするってことは、生きてる人には出来ないことですよね。
生きてる人にはできないことが、死んだ人には出来てしまうってのはおかしな話ですね。
妊婦さんがおなかに鏡をつけてお通夜に出るってのも、ひどい話ですね。
死んだ人が赤ちゃんに何をするというのでしょうか?
悪いことを死んだ人のせいにしてしまうことで、その人の大切な思いでこそがケガレてしまうんですね。
死んでも大切な人は心の中に生き続けてるんですね。
その思い出の中に生きている思いでを否定するような行為は、自分を苦しめるだけなんですね。
悲しみの中に生きている大切な思い出を、一生やすらかに眠らせないでください。
返事もしない、動いてもくれない、冷たい大切な人の死体は、しばらくすると燃やされてしまいます。
形がある残された大切な時間を、大切に過ごさないと後悔ばかりが残ってしまいますね。

死んだからって、愛情は何も変わるわけがないんですがな。
JUGEMテーマ:家庭
- 2010.02.06 Saturday
- 宗教
- 15:54
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- by 隣野ポチ


